第27回 若狭湾の自然#2

 趣旨

「若狭湾の自然」に関する野外観察

 概要

日時

2004年7月10日(土) 午前8時−午後6時

場所
若狭湾
参加者
5名 (学部生1 [工1]、 院生3 [農1;AA研2]、 教官1)

 報告

第27回 若狭湾の自然」の続き

リアス式海岸の語源は何だったっけ?という話題になった。もちろん、スペインの大西洋岸「リアスバホス海岸」からきている。

巨岩が神として祀られている。

今日はずっと大雨だったが、若狭湾に着いたら雨がやんだ。リアス式海岸の鋸状の入り江がよくわかる。

頂でのわずかな晴れ間に、植生調査を行った。

断層崖の下をトンネルがくぐるところ。雨足がひどくなった。

京都への帰路の途中、余呉湖に寄った。余呉湖から見た賤ヶ岳。1582年の本能寺の変で織田信長が亡くなった後、豊臣秀吉と柴田勝家との間で覇権争いが起き、1583年(天正11)4月、この賤ヶ岳(標高422メートル)において秀吉が勝家を撃ち破ったのであった。その決戦が行われた地とは思えないほど余呉湖は静かなたたずまいを見せている。

京都大学自然地理研究会

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