第121回  「山科東部の自然と歴史」

 要旨

 今回の自然地理研究会では、京都市山科区東部の音羽山周辺において、自然・歴史探訪をしました。山科盆地東部山麓の行者が森にある伏見城石垣の採石場を見学し、音羽川の上流に遡って法厳寺を訪れました。その後、牛尾山から音羽山へ縦走し、頂上付近では琵琶湖周辺の景色を眺望しました。また、旧東海道・旧東海道本線をたどり人々がいかに逢坂の関を克服してきたのかを訪ねました。

 案内者

岡田陸太郎(京都大学文学部)福山一茂(京都大学文学部)

 野外実習の概要

日時

2022年10月15日(土)

場所
京都府京都市山科区、滋賀県大津市
参加者
12名(学部生8名[文6、法1、教1] 院生1名[AA1] 研究員1 教員1 元教員1)
行程
9:30 京阪京津線追分駅集合(趣旨説明・自己紹介)

10:00 旧東海道にて「車石」を見学・旧東海道本線跡を経由
10:30 白石神社にて巨石を見学・小休憩
11:00 法厳寺(牛尾観音)に向かって山科音羽川に沿いを歩く
12:00 法厳寺にて小休憩ののち登山開始
13:00 音羽山山頂(昼食)
14:00 下山開始
15:00 下山し、京阪京津線大谷駅から交流会の会場に移動
17:00 交流会(BBQ)

 報告

今回の自然地理研究会の巡見では京都市と大津市の境に位置する音羽山(593m)に向かいます。音羽山へは京阪京津線の追分駅から麓の法厳寺(ほうごんじ)までおよそ5kmほどの道を歩きます。


追分とは、街道の分岐点のことを意味します。実際に京都方面(東海道)への道と宇治方面(奈良街道)への道が交わる分岐点が存在します。


追分周辺の逢坂の関は、古来より東海道の難所として知られてきました。牛車が峠越えをしやすくするために江戸時代に敷かれたのが、この花崗岩製の車石です。


道中、白石神社に立ち寄ります。ここには、御神体とされている石英斑岩の巨石が存在します。


音羽山一帯は美濃·丹波帯の付加体ですが、この巨石は貫入で形成された石英斑岩や花崗斑岩由来のものです。付近は、伏見城の築城の際に石垣のための石が切り出された場所であり、この巨石にもノミの跡が確認できるため、伏見城の石垣用として切り出されたのではないかと推察されています。


法厳寺まで舗装された歩きやすい道を登っていきます。


法厳寺は空海が修行した地とされています。途中でも、空海がお経を唱えたとされているお経岩と空海の像を見かけました。


法厳寺に到着しました。牛尾観音とも言われる当寺は、空海のみならず多くの僧が修行に訪れたほか、清水寺の奥の院としても親しまれているそうです。訪れた日は、翌日に1年に1度の本尊公開を控えていました。今回は残念ながら見ることは叶いませんでしたが、機会があれば拝観したいですね。


ここからは音羽山の山頂まで山道を歩きます。


音羽山山頂に到着しました。細長い琵琶湖とそれに並行する比良山地を眺めました。細長い湖と細長い山地はどうして並んでいるのでしょうか。近畿地方の原形は、大阪湖盆·東海湖盆·古琵琶湖盆という3つのなだらかな堆積盆地と断層に区切られた山地でした。この3つの湖盆を頂点として結んだエリアを近畿三角帯と呼びます。そのうちの1つ、古琵琶湖盆で並行していた断層帯が隆起·沈降し、沈降した部分が細長い湖である琵琶湖を形成し、隆起した部分では細長い山地を形成しました。


琵琶湖と大津の街並みをバックに山頂で記念撮影しました。


登りとは打ってかわって急な下りを進み、国道1号線の走る逢坂山の中腹までやってきました。この区間の道路はいつも混雑していて、古来から交通の要衝であることを実感させられます。今回の巡見はここで終わり、打ち上げに向かいます。


「恒例(?)」のバーベキューです。みなさまお疲れ様でした。

京都大学自然地理研究会

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