私は1986年から89年にかけて,ザイールの熱帯雨林に住む農耕民ボンガンドの調査をおこなった。 帰国して論文をまとめ,すぐまたフィールドに帰ろうとしていたのだが, 折りから勃発したザイールの内戦で,入国することが不可能になってしまった。 それからもう10年以上になるが,私はいまだ再びザイールに足を踏み入れることができずにいる。
しかし飛行機の中での懐かしい思いは,キンシャサに着くずっと前に消えた。隣の席に座っていた若いドイツ人女性の二人連れは「あれはいったい何?」と言いたげに顔をしかめていたが,私自身,懐旧の情が飽和した後は,うるさくてたまらなくなっていたのである。
何にもまして強く,私のザイールでの記憶を喚起したのが,彼らのその喋り方であった。しかしそのような,「ああ,この人たちだな」といった対他的印象は,人類学においてまっとうな主題にされることは少なかった。それは記載するにはあまりにもナイーブで,また分析しようにもその手がかりが少なかったからであろう。 私はここで,主として発話の様式を手がかりに,そういった印象を生じさせている,人々の「他者に対する構え」について論じてみたい。