第76回 安曇川下流域の河川地形と針江の「生水」
趣旨
滋賀県北西部を流域とする安曇川は、琵琶湖へ流入する河川の中でも最大の水量を誇る河川です。下流域である高島市東部地域には、国内でも有数の規模を誇る扇状地が形成されています。また、この地域は安曇川の扇状地であると同時に琵琶湖への河口部に広がる三角州も形成されており、河口先端部には日本では珍しい鳥趾状三角州の特徴も見られます。
高島市新旭町の琵琶湖に近い場所にある針江地区では、この扇状地の地下水が湧き出る「生水(しょうず)」が有名です。良質な湧水と、それを中心として有機的に構築された生活様式は、自然と人との関わりを学ぶ上で大変参考となる事例です。
今回の巡検では、「生水」の湧き出る針江地区の見学を、実際のご家庭敷地内への見学も含めて地域の方の案内で行った後、安曇川扇状地を一望できる清水山城址に登り、扇状地の地形を概観すると共に山城の遺跡となるこの山の人工地形についても学びました。
案内者
- 井出健人(京都大学文学部B4)
- 中三川洸太(立命館大学文学部B4)
野外実習の概要
- 日時
2012年10月14日(日)
- 場所
- 参加者
- 行程
09:16 JR京都駅発
10:00 JR湖西線新旭駅到着(針江地区公民館まで徒歩で移動)
10:30 針江の生水見学
12:00 見学終了。新旭駅付近へ移動し、昼食
13:30 清水山城址へ移動(徒歩)
14:30 山頂着。安曇川下流域の河川地形の概観
15:00 下山
16:29 JR新旭駅発
17:31 JR京都駅着
18:00 京都駅周辺にて打ち上げ
報告
今回の実習は滋賀県高島市(旧・新旭町)で行います。
新旭駅前です。ここから、本日の実習地の針江集落に向かいます。
針江集落を歩いています。針江は、「川端(かばた)」という独特の水設備を各家庭に設け、湧水を利用してきた集落です。集落の中に、琵琶湖へ注ぐ針江大川から水路が引かれ、それが数十センチの小さな水路に分岐しながら集落の中を流れ、各家庭へ流れ込んでいます。一方で、各家庭からも湧水が出ており、この湧水を「生水(しょうず)」と呼びます。
針江では地域活性化の一環として、地元の方が観光客に各家庭の川端について説明をしています。私達は2班に分かれ、川端と生水についてのガイドをお願いしました。
針江の湧水の水温は13℃です。日本では、地表の気温変化の影響を受けない地下8〜15mの恒温層とよばれる層より深い所から水を汲み上げると、13〜18℃になる特徴があります。水路の水は湧水と川の水とが混ざっているために17℃程になっています。また、家庭から水路へと流れる家庭排水は水中のバクテリアの作用により浄化され、水質が良好に保たれます。
水路には鯉が飼われています。これは、住民の方が流した残飯を鯉が処理してくれるためです。しかし鯉は水質が良すぎると生育することができません。そのため、鯉が飼育された場所では農業用水や河川水の比率を湧水よりも意図的に高くしてあります。
こちらが川端です。家庭内に設けられた川端は、地下水が湧き出してくる「壺池」、そしてそこから流れ出す「端池」で成立しています。「壺池」には地下約20mから地下水が自噴しており、この水は飲料水や料理に用いるほか、野菜を冷やすなどの用途に用います。一方で「端池」は食材や食器を洗うのに用い、鯉が飼育されています。
川端には雨水が混入しないよう屋根が設けられており、家庭内の川端を「内かばた」、家庭の外に独立して設けられているものを「外かばた」といいます。川端小屋の内部には、細長いすりこぎや、魚を捕まえるための笊のような道具などが掛けられています。
先程とは別の家庭の川端です。川端の形は各家庭により少しずつ違いがあります。
川端を外から見た様子です。川端の「端池」は一部屋根の外に出ており、集落内の水路と繋がっている区画となっています。
水路をよく見ると、壁面が赤く染まっている場所を見ることができます。これは水に鉄分が多く含まれるためです。有機物の分解により酸素が消費され、還元環境になると酸化物として地層中に固定されていた鉄イオンが溶出するため、水中の鉄分が多くなると考えられます。底にはサワガニなどが生育します。
水路には清流を好む水草が多く生育しています。写真手前の黄緑色の大きな水草は「ミクリモ」といいます。船の通行や水の流れの妨げになるために、地元の方が刈り取っています。また、写真左上に見える鮮やかな緑色の水草は「バイカモ」といい、6月〜8月に白い小さな花を咲かせます。
地元の方と別れ、近くのスーパーで昼食を買い、駅前でお昼休憩です。
午後の実習では駅から北西へ進み、饗庭野台地南東部の清水山城址へ登ります。饗庭野台地は花折断層の東側、安曇川三角州の西側に存在する200〜700mの台地で、琵琶湖の湖面の低下により形成されたと考えられています。台地の形成には琵琶湖西岸の断層活動が大きく関わっており、メンバーのいる場所も「饗庭野断層」という断層のすぐ下に当たります。
散策路を進むと水田として利用された段丘が現れました。この場所は安曇川の河岸段丘の下位面「奥山面」と考えられますが、琵琶湖の湖底段丘面があまり浸食をうけずに良好な状態で残されたものとも考えられ、議論がおこりました。
これから清水山城遺跡へと向かいます。この山城は室町〜戦国時代にかけてこのあたりを支配していた高島氏の本城と伝えられています。また、山城の南方には寺院の跡地を城主や一族の屋敷として利用していたとされる、清水山遺跡が存在します。織田信長に城が攻略されるまで人が住んでいたと言われています。
山の尾根部が平坦になっている場所が多く存在します。これは「曲輪(くるわ)」といい、山の斜面を削り、削った土を前に盛ることにより平らな面を作っています。その周囲に土塁を築き、建物を建てたりして、侵入しにくいよう工夫がされています。清水山城は、主郭を中心として尾根上にいくつもの曲輪を連結させて配置した放射状連郭式(ほうしゃじょうれんかくしき)の山城です。
登城路と考えられる道の遺構です。
こちらは「堀切(ほりきり)」です。尾根続きを遮断するため、尾根の鞍部をナタで切ったように作られた空堀のことをいいます。
こちらは「畝状空堀群(うねじょうからほりぐん)」です。山の斜面に直角に作った空堀「竪堀」と、土塁とを交互に連続させて斜面に並べたもので、トラバースをさせにくくする目的があるようです。
主郭部に到着です。地面に石が埋め込まれていますが、こちらはかつての主郭の礎石の名残です。主郭ではかまどの位置なども確認されており、発掘調査によって焼土層が出土しています。
主郭から琵琶湖方面を望むと、安曇川三角州が一望できます。安曇川三角州は「鳥跡状三角州」といい、鳥の脚の指のように伸びた三角州です。鳥跡状三角州は、河川の流入する水域が穏やかで、河川の土砂運搬量が多く、粘土の割合が多く分流路が固定しやすい場所に形成されます。琵琶湖は国内でも最多の鳥跡状三角州を抱えています。また、安曇川三角州は安曇川の扇状地と繋がった扇状地性三角州でもあります。
奥に見える台地は泰山寺野台地です。もともとは断層の活動で琵琶湖湖底より隆起した、饗庭野台地と繋がった1つの台地でしたが、安曇川の流れにより分断されました。段丘が発達しているのが解ります。
安曇川三角州をバックに記念撮影。みなさん、お疲れ様でした!!
京都大学自然地理研究会
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