{{img ma.jpg,height="380"}} {{span style='font-size:10pt;', 嵐のはじまり}} 「嵐が来たぁー」。村人の叫び声とともにすさまじい音が近づいてきた。高々とそびえる巨木を揺らし、ひっそりとたたずむ小さな花さえも容赦なく打ちつける。その音は次第に近くなり、耳を覆うばかりの大音響で村を襲った。またたく間に灰色の雨雲が広がったかと思うと、見たこともないような大粒の雨が大地に降り注いだ。雨はひからびて固くなった地面を激しい勢いで潤すとともに、雨季の訪れを告げた。私は初めて迎える雨季を体中にのしかかる雨の重みで感じながら、慌てて家へと飛び込んだ。 家の戸口からは、滝のように流れ落ちる雨とともに白くかすんだ世界が広がっている。心細くなり、出来る限りの大声で叫ぶ。「おおーい」。声は雨音にかき消され村人たちに届くどころか、自分の耳にさえ届かない。雨は少しも弱まらず、今度は強風が吹き荒れた。太く重い一筋の風にまくし上げられ、一瞬、滝の中から村が顔を覗かせた。昼間は子供たちの遊戯場、夜は歌と踊りの舞台となる村の広場は、赤茶けた地肌をむき出しにその無残な姿をさらけ出している。子供の手首にも満たないほどの幼木を組み合わせ、その上に“ボボコ”という葉をかぶせただけの簡素な住居、“モングル”は、真正面から風を受けて今にも吹き飛ばされそうだ。続けざまにやって来た突風にあおられて、“ボボコ”の葉が空へと舞い上がった。突き上げられた葉の行方を確認する間もなく、天空からはけたたましい雷鳴が、地上からはドドーツという音とともに木の倒れる振動が続けざまに伝わってきた。身をすくめる間もない。豪雨が村を襲い、再び視界は白く閉ざされた。 {{img mongulu.jpg,height="300"}} {{span style='font-size:10pt;', バカ・ピグミーの住居。}} 私の体は緊張と恐怖のあまりにこわばった。なんとか気持ちを落ち着け、部屋の中心に置いてある丸太の椅子に腰を下ろした。部屋中あちこちから、雨漏りの水がしたたり落ちている。すでに地面には小さな水溜りができ上がり、水溜りと水溜りを結ぶ小さな流れすらできようとしている。バタン。強風に押されて、家のドアが閉まった。部屋の中は夜のような暗闇に飲み込まれた。私の家に雷が落ちるのではないか、椰子の葉で出来た屋根が吹き飛ばされるのではないか。もはや私は一人でいることの恐怖に耐えられなかった。私は雨風が弱まる合間を見計らい、自分の家から一番近い“モングル”を目指した。 夢中で飛び込んだ家の中は、不思議と静まりかえっていた。住人たちは囲炉裏に集まり、子供も大人もその小さな肩を寄せ合っていた。主と目が合った。「ここにおいで」。目の前にそっと椅子が差し出された。腰を下ろすと、ようやく生きた心地を取り戻した。幾すじもの雫が私の頬を伝い地面に流れ落ちる。寒い。囲炉裏に手をかざそうとしてはっとした。火がない。決して絶やされることのない火種は光を失い、あたりは寒々とした空気に満ちていた。命を失った囲炉裏を囲む人々の目は、あてもなく宙をさまよっている。 その時だった。再び荒れ狂う嵐とともに、一人の老女が大きな声を張り上げた。「ああ、神様!ああ、神様!あぁ・・・」。満月の夜、いくつにも重なり合い森にこだまする美しい歌声、焚き火を囲み動物たちの物語を表情豊かに語りかける声からは、とうてい想像もできないような張り裂けんばかりの祈り声だった。まだ一歳にも満たない小さな赤ん坊は、嵐と老女の叫びにただならぬものを感じたのか、激しい声で泣き始めた。母親はしっかりと赤ん坊を抱きしめた。しかし、自分も怖いのだろう。夫にぴったりと張り付き、顔をこわばらせている。しかし、夫はまるで言葉を失ったかのように一言も話さず、ただぼんやりと囲炉裏を見つめている。森から村へ、村から森へ小鳥のように駆け巡り、その羽を休めるがごとく私の家にやってきては、はにかんだ笑顔を戸口から覗かせる子供たちは、母親と父親の傍でその小さな肩をすくめている。百キロ以上もある森のオオイノシシを追い詰め、狩りを成功に導いたと称えられたイヌも今はしっぽを丸めてうずくまったままである。 {{img yande.jpg,height="400"}} {{span style='font-size:10pt;', クズウコンの葉の日傘をかけてもらう赤ちゃん}} これが、あの森の民の姿なのだろうか。下草に足をとられてはこりもせずひっくり返る私を尻目に、分厚いゴムのような素足でさっそうと森の道を進む。次から次へと容赦なく現れては道を遮り、森歩きに不慣れな私をうならせ辟易させる大河や泥沼にも顔色一つ変えることはない。森の中で研ぎ澄まされる彼らの感覚は、遠く離れた茂みにひそむ獲物たちの微細な動きや、頭上高くそびえる巨木の枝に群がるミツバチたちの羽音まで逃さない。ひとたび獲物の気配を感じると、猟犬とともに獲物を追いかけ、またたく間に森の中に消える。その姿は、まるで森を縫う軽やかな風のようだ。 変わり果てた森の民の様子に、私は動転し言葉を失った。嵐の吹きすさむ外の世界と葉っぱ一枚だけで隔てられた家の中では、住人たちが肩を寄せ合い小刻みに震えている。声を限りに叫んでいた老女はあきらめたのだろうか、部屋の隅に腰を下ろし荒れ狂う外の世界に見入っている。火の気を失った部屋には沈黙が重々しくのしかかり、雨が大地を打ち付ける音とともにゴオーッという風の音だけが響いている。どうしてしまったのだろう。尋常ならぬ森の民の様子に、不安は募るばかりだった。 どのくらい経っただろう。老女がぽつりぽつりと話し始めた。村から遠く離れた森のキャンプで嵐にあい、空腹を抱えたまま嵐がやむのをひたすら待たなければならなかったこと。雷を受けて燃え盛った巨木が目の前に倒れ、その下敷きになって死んだ友人のこと。大雨で氾濫した河に落ち、流されてとうとう見つからなかった子供のこと。老女の話は止まることを知らず、私は固唾を呑んで聞き入った。すでに聞いたことのある話なのだろうか、それとも話を聞く余裕などないのだろうか、住人たちは固まった体をそのままに顔を上げようともしない。ふと子供たちに目をやった。いない。慌てて辺りを見回すと、強風はおさまり、雨は小雨へと変わっていることに気がついた。いつの間にか、嵐は過ぎ去っていた。明るく広がった視界を見渡すと、小雨を全身に浴びながら、広場ではじけるように歌い踊る子供たちが見えた。あっけにとられている私を見て、老女がからから笑った。 「私は森のキャンプにいるよ。 私は水をくむよ。 私は薪を運ぶよ。 私はハチミツを食べるよ。 とっても甘い、甘い、甘いーよ。」 小雨に濡れることなど気にしない。広場だけではあき足らず、村中を走り回る。大きな子供たちだけで作られていた輪に小さな子供たちも加わり、大きく長細い輪が出来上がった。遅れながらも必死についていこうとするよちよち歩きの子供たちの様子が、愛らしい。転んで体中泥だらけになりながらも、手振り足振り歌い踊る。嵐が去り再び太陽が訪れた喜びを体全身で表現している。子供たちの元気な歌声は嵐の去った村中に広がり、それぞれの家からは大人たちの笑い声がこぼれている。森の民の穏やかな笑い声に包まれながら、私は自然とともに生きる人々の弱さ、そして強さを垣間見た気がした。 森の民があれほど嵐を恐れたのは、自然と隣合わせで生きるがゆえ、そして自然の恐ろしさを知っているからではないだろうか。森は、決して尽きることのないその豊かな恵みで森の民を満たす。季節ごとにその姿を変える多彩な食物、家具や調理具などさまざまな生活用品、毛皮で出来た踊りの衣装や美しい音を奏でる楽器などあらゆるものを森の民に授ける。彼らの生活や文化は森とともにあり、森無くしてはありえない。ある森の民は、「森はわれわれにとって母や父のようなものだ」と語った。 {{img mboka.jpg,height="300"}} {{span style='font-size:10pt;', 晩御飯のジェネットをかつぐ少年}} しかし、森は優しく温かいだけの存在ではない。ある時は、地を這うような苦しみだけが待っている恐ろしい病気を村に運び、またある時は、予期せぬ災害でいともたやすく人々の命を奪い去る。私は嵐を前にして豹変した森の民の姿を目の当たりにし、遥か遠くアフリカの森に私を導き、私の心をとらえて離さないテーマへの根源的な問いにぶつかった。「自然と共生する」、それは、自然の豊かさに寄り添い、その温かな懐に抱かれながら生きるということだけではない。荒れ狂い、時に死をもたらす、ありのままの自然と全身全霊をかけて対峙するということでもある。そして、そのような自然を畏怖しながら生きていく。しかし、それは屈服を意味するのではない。生の自然を受け入れ、自らの恐れや喜びもそれに重ね合わせて生きていくことではないだろうか。 小鳥たちが騒がしい。雨が上がった。黒々としたかたまりとなって頭上を覆う巨木の梢から、大地からそっと顔を覗かせるように咲く小さな草の花弁から雨のしずくが滴り落ちる。その音は、心地よいリズムとなって森を満たしている。嵐の間、巣穴に体を潜ませていた森の動物たちも、今は木の穴や岩の隙間から顔を覗かせているのだろうか。すーっと伸ばした体に、森のしずくがこぼれ落ちているかもしれない。森には、一日の終わりを告げるやわらかな日の光が差し込み、雨によってつややかさを増した緑がひときわ輝いている。子供たちの歌声はますます朗らかさを増し、雨水のドラムとともに嵐の過ぎ去った森に響き渡っている。それは、まるで森のあらゆる生命たちに呼応しているかのようだった。 {{img bele.jpg,height="300"}} {{span style='font-size:10pt;', 光の差し込む森。}}