{{img akolo1.jpg,height="330"}} {{span style='font-size:10pt;', 手際よくミズマメジカを解体するディオナ}} アフリカの森で、バカ・ピグミーの少年ディオナがミズマメジカ(水場に棲む小さな鹿)を解体している様子を観察していたときのことである。ディオナは、小刀をたくみに用いながら、皮をはぎ次々と内臓を取り出していった。小さい頃から繰り返し動物を解体してきたのだろう。なんとも無駄のない手さばきである。日本で生活していると、動物の解体現場をみる機会に恵まれることはほとんどない。私は、少し憂えをおびたような愛らしい目とつややかな茶色の毛皮を持つミズマメジカの内側に広がっている鮮やかな小宇宙に見入った。ほんの少し前まで息をしていたミズマメジカの内臓はつやつやと光っており、それぞれがまだ生のリズムを奏でているように見えた。 そんなときに、事件は起こった。森の動物の内なる世界を覆いかぶさるように見ていた私の顔に、ミズマメジカの生暖かい血しぶきが降りかかったのである。なんだ、そんなことかと思われるかもしれない。その通り、私にとってもそれは取るに足らないことだった。驚いたのは、そのときのディオナの反応である。彼は、私に血しぶきがかかるのを見届けるやいなや、手に持っていた小刀を放り出し、傍にある草むらに飛び込んだ。森の民がテッシュのように利用するイエケレの葉を取ってきて、私の顔にかかったミズマメジカの血をふき取りにかかった。慌てふためいたディオナの様子に私は面食らい、なされるがままになっていたが、彼が私に気を使ってくれたのだということに気づくと、すぐさま「大丈夫。」と告げた。ディオナは私の声に反応して手を止めたものの、それでも心配そうに私の顔をのぞきこんでいた。私は予期せぬディオナの反応に驚いたが、彼の気遣いがうれしくて笑いがこみ上げてきた。ミズマメジカの血で頬を赤く染めながら笑っている私をみて、ようやく安心したのか、ディオナもつられて笑った。 なぜ、ディオナは私にそのような気を使ってくれたのだろうか。少し考えてみたい。私はフィールドで、なんであれとにかくよく洗う。自分がとりたてて清潔好きだとは思わないが、森から帰ったときやご飯を食べる前、寝る前など、一日に数回は石鹸を使って手を洗っているだろう。手だけでなく体全体もよく洗う。村にいる時であれ森のキャンプに出かけるときであれ、涼やかな小川に体を浸しにいくのはこの上ない楽しみの一つである。体調の芳しくないときでさえ出かけていく。石鹸をもって子供たちと水浴びに出かければ、病もきれいさっぱり水に流れるような気がするのである。衣類も毎日のように洗う。汗臭い衣類を身につけると、前日の森歩きの疲れまで引きずってしまうような気がして、清新の気持ちで調査にのぞめないのである。病気のときの水浴びは少し特殊かもしれないが、毎日のように体や衣類を洗うという習慣は日本ではごくありふれたことだろう。 しかし、アフリカの熱帯雨林では違う。私のように頻繁に何かを洗っている人は誰もいない。もちろん、森の民もまったく洗わないというわけではなく、朝は小さなボトルから少し水を出して顔や手を洗ったり、昼に水浴びに出かけたり、洗い終わった衣類を住居の上に干している様子を見かけることがある。ただ、程度と頻度という観点からいうと、森の民と私たちの「洗う」は大きく異なっている。彼らの暮らす熱帯雨林ではなんでもかんでも洗えるほどたくさんの石鹸がないというのが一つの理由ともいえるが、彼らは水洗いであっても、それほど頻繁に何かを洗うということはない。生活のふしぶしにおいて衛生面ばかりを気にしているような日本の社会は、ある種、精神的な病みを抱えているように思うが、バカ・ピグミーにとって、私がとる「洗う」という行為は精神的よりもむしろ肉体的な病に関係するものとうつるのかもしれない。 森での生活において、私の体は彼らが想像できないほどもろい。実際に、彼らが食べても何の問題もない森のグルメに私だけがお腹を壊したり、私の足だけが虫刺さされのためにひどく腫れ上がることは少なくなかった。とくに森で生活を始めたばかりの頃、私は彼らにとって信じられないような弱い肉体をひきずって生活をしていた。私が見せた身体的弱さとそれにともなう不安な表情は、彼らをさぞかし驚かせたにちがいない。その後、新たな生活環境に慣れ、胃腸や皮膚など身体だけでなく精神的にもたくましくなっていったが、森の民と同じになれたわけではなかった。初めの頃よりは適応力がついたが、どのような水でも問題なく飲めるというわけではなかったし、虫刺されに苦しめられることもたびたびあった。弱い存在としての私の印象が、解体現場でディオナにあのような行動をとらせるにいたったのではないだろうか。彼らにとって動物の血は日常的に触れるもので、さしあたって気をつけないといけない類のものではない。しかし私は、彼らの理解の出来ないようなことで体調を崩し、傷だらけになるので、ディオナは私が血に触れることによって病気になると思ったのかもしれない。かりに病気とは関係付けていなかったとしても、ミズマメジカの血を私が好まないものと考えたことはたしかだろう。 それにしても、ディオナはなんと思いやりに富んでいるのだろうか。ディオナの見たこともないような狼狽ぶりに私は心を打たれた。だが、ディオナだけではない。この事件に限らず、アフリカの森でバカ・ピグミーとともに暮らしていると、彼らの優しさにほんとうに驚いてしまう。アフリカの熱帯雨林に、これほどまでに心優しき森の民が暮らしていると誰が想像できるだろうか。バカ・ピグミー流の思いやりに私が驚いて、彼らを見つめれば、丸くて大きな目を少し見開いて恥ずかしそうに微笑む。ときに、私があげた歓喜の声に彼らもまた驚いて、森をわたる風のように走り去ってしまうことがある。心優しき森の民は、とてもシャイな人々なのである。 私は、これまでに合計で二年間近くアフリカの森でバカ・ピグミーとともに暮らしてきたが、この間彼らからずいぶんたくさんの優しさをプレゼントしてもらった。しかし私のほうは、日本とかけ離れたところで送る生活や初めて取り組む調査に慣れることに必死で、彼らにどれほど優しくできたか、はなはだあやしい。今後、どれほどの余裕ができるのか自信はないが、彼らからもらった優しさをなんとか少しは返したいと思う。バカ・ピグミーに寄り添いながら喜びや悲しみを見つめ、彼らの幸せについてともに考えたい。そして、森の民の友人としてまた研究者として、アフリカの森で自分に出来ることを探していきたい。また日本では、森の民からもらった優しさのおすそわけをしていきたい。おすそわけをする場所がアフリックである、と私は考えている。これまで私は、アフリカ先生として教育機関や市民センターに出向き、バカ・ピグミーのところで学んだ自然と共生するヒントについて話してきた。しっかりと伝えることができたかどうか、授業の後いつも自分のなかに疑問が残るのであるが、誰もが理解できる言葉や方法を探究し、森の民からもらった優しさをより多くの人々に届けたいと思う。 昨年の冬、滋賀県大津市立真野小学校の若草学級の生徒さんを相手に授業を行った。まず、教室にアフリカの写真パネルやアルバム、フィールドから持ち帰った道具類や絵画などを並べ、生徒さんたちにアフリカの布、カンガを着てもらった。その後、バカ・ピグミーの音楽を聞きながら映像を観て、イメージをふくらませてもらった。興奮した生徒さんの一人はソーラン節を踊り出し、その姿はまるで、歌と踊りの民であるバカ・ピグミーがアフリカの森からやってきたようだった。そのあと、大きな障子紙に絵の具やクレヨンを使ってアフリカを表現してもらったのだが、普段は水を嫌い絵の具を使わないという生徒さんが、この日に限って絵の具を使ってくれた。子供たちのやわらかな心がアフリカからのメッセージを何か感じ取ってくれたのかもしれない。森の民バカ・ピグミーの優しさが、日本の子供たちのところまで届いた、そんなふうに思えたアフリカ先生の一日だった。