{{img ngba.jpg,height="210"}} {{span style='font-size:10pt;', 朝もやに包まれた村。}} 太陽がゆっくりと姿をあらわし森を包む白い霧のベールが明け始める頃、私はモボリと二人で森へ出かけます。今日は、村から少し離れた大きな森へ行く予定です。冷え切った体を軽く伸ばしながら村の広場を歩いていると、鶯色の衣をまとった“セセ(オリーブ・サンバード:''Nectarinia olivacea'')”が私たちの目の前を横切りました。モボリは、“セセ”の行方を見守っている私にいたずらっこのような笑みを投げかけると、しゃがれた声で歌い始めました。「ブルイエ(セセの名前)〜」。“セセ”の歌です。「アーア ア アーア アーア ア アーア」。遅れをとるまいと歌い始める私をモボリは愉快そうに見つめ、森へと続く細長い道をずんずんと進んでいきます。 {{img sese.jpg,height="200"}} {{span style='font-size:10pt;', パパイアの花の蜜を吸う“セセ”。}} 「オカ(さぁ)!」。歌の合間に入るかけ声で、気分はますます盛り上がり、足取りはいよいよ軽くなります。しかし、“ジィ(アフリカショウガ:''Aframomum spp.'')”の傍を通るときは、気をつけなくていけません。“ジィ”は、長く伸びた茎に細長い葉をたくさんつける植物です。3、4メートルの高さまで成長し、道に覆いかぶさるように生えます。この植物に少しでも体をぶつけたなら、葉にたまった朝露が大粒の雨のように落ちてきて、びしょ濡れになってしまいます。たっぷりと水分を含んだ“ジィ”に気を取られていると、頭上はるか高くでドサッという枝の揺れる音がします。慌てて頭上を見上げる私たちの上に、小刻みに揺れている枝から小雨のような朝露がパラパラと降りかかってきました。 なにやら黒いかたまりが見えます。双眼鏡をのぞくと、30メートルはゆうに超えているような大木の梢を、一匹の“コイ(ハナジログエノン:''Cercopithecus nictitans'')”が渡っているのが見えました。予期せぬ森への侵入者に驚いたのか、“コワッ コワッ”という警戒音を森中に響かせています。私たちから少しはなれた梢に腰を下ろすと、鳴くのをやめてこちらをじっと見ています。しばらく沈黙が続きました。しかし、双眼鏡をおろし再び歩き始めようとしたとき、今度はもっと激しい声で鳴き始めました。再び始まった警戒音に驚いた“クルング(カンムリエボシドリ:''Corythaeola cristata'')”たちが、大きな羽音を立てて次々と飛び立ちます。さらには、同じ群れの仲間なのでしょうか、かなり離れたところから、別の“コイ”の鳴き声が聞こえてきました。静かだった森はまたたく間に活気づき、緊張感が波のように広がっていきます。 「オカ(さあ)!」。モボリの声に促され、再び歩き始めました。しばらく行くと、前方に倒木が見えてきました。近づくにつれ、その大きさが予想をはるかに超えるものであることがわかってきました。幹の直径は私の身長を軽く超えており、よじ登ろうにも足をかける場所もありません。いったいどうしたものか、と立ち往生している私を尻目に、モボリは迂回路を探し始めました。山刀でうっそうと茂る藪に道を切り開きながら、横たわる幹をたどること数十メートル、いくつにも分かれた根が見えてきました。その中の一番小さいものでも、私の腰周りほどはゆうにあるでしょう。土にまみれた根をくぐり、なんとか倒木の向こう側に出ました。しかし、藪からもとの道まで戻るのが、またひと苦労です。小さくため息をつき、頼りの綱であるモボリを見ると、モボリは忽然と姿を消していました。 {{img lo.jpg,height="380"}} {{span style='font-size:10pt;', 行く手をさえぎる嵐で倒れた大きな木。倒れたばかりで葉は青々と茂っている。}} 慌てて「モボリ オー(ねぇ、モボリ)?」と叫ぶと、近くの茂みから「マケ(ここだよ)。」と声がしました。声のほうに行ってみると、モボリは夢中で何かを拾っています。さらに近づいてみると、女性のこぶし大くらいになる緑色の平べったい果実が大量に転がっていました。“コンベレ(イルビンギア・ナッツ(''Irvingia robur'')”です。“コンベレ”の果肉は食べることができませんが、油分を含んだ種子は調味料になります。火でいぶったものをすり潰し、魚や肉と一緒に煮込むと、風味豊かなおかずが出来上がります。モボリは山刀の先にコンベレの実を突き刺しては、背負っている籠にテンポよく入れていきます。あっという間に籠はいっぱいになりました。 {{img kombele.jpg,height="250"}} {{span style='font-size:10pt;', “コンベレ”の実を採集しているモボリ。}} “コンベレ”をたくさん採集しすっかり気をよくしたモボリと私は、再び藪の中をツルや草をかき分けながら進み、もとの道に戻りました。ほっとしたのもつかの間、しばらく歩いていると、今度は川に出ました。川幅は10メートルにも満たないほどで、それほど大きな川ではありません。しかし、倒木をそのまま橋にしているだけなので、足元が心もとないことこの上ありません。丸太の橋に不慣れな私は、黄土色ににごった川の流れに引き込まれそうな錯覚を起こします。そんな私とは対照的に、モボリは、背中に背負った大量の“コンベレ”を苦にする様子もなく、すっと橋を渡っていきます。真ん中で振り返り、立ち往生している私に、向かってモボリは言います。「テロリ(ゆっくり)」。うなずきもせず黙ったままの私を見かねたのか、「ゴシカレ(待ってて)。」と言い、戻ってくると、自分につかまるよう言います。私はモボリの背負っている“コンベレ”の籠につかまりました。一歩、一歩、足元を確認しながら進みます。もし、ここで私が足を滑らせたら、モボリと“コンベレ”とともにどこまで流されていくのだろう。弱気な考えが頭をもたげてきます。やっと橋を渡り終えたとき、体中から汗が噴出していました。 {{img ngo.jpg,height="330"}} {{span style='font-size:10pt;', 森の中を無数に流れる川。乾季は水量が減るが、雨季は濁流がとうとうと流れる。}} それからどのくらい歩いたでしょうか。足腰に軽い疲労感を感じ始めたとき、モボリに尋ねてみました。「ナカティエ ンガンガティニ コト ア マンジャ(あとどのくらいで、大きな森へたどり着くの)?」モボリはケラケラと笑いながら答えます。「マンジャ ケ(これが大きな森だよ)」。見渡すと、これまでとは明らかに違う風景が広がっています。とうとう40メートル級の巨木が立ち並ぶ大きな森に到着したのです。見上げると、太陽に向かって伸びる枝がぎっしりと視界をさえぎり、樹冠ははるか彼方にかすんでいます。うっそうと茂る樹木のもと、地面に太陽の光はほとんど届かず、薄暗い空間が広がっています。足元を見ると、これまで私たちの足にまとわりついては、いく手を拒んだツルや草はほとんどありません。巨木たちの板のように張り出した根の傍には、朝露の乾ききらない落ち葉が降り積もっているだけです。 私は、倒れてからかなりの月日が経ちすっかり色あせた大きな倒木の上に寝転がり、思いっきり体を伸ばしてみました。土の湿った匂いにまざって樹木のやわらかな香りが漂ってきます。耳を澄ましてみましたが、何も聞こえません。近くにいる動物たちも息をひそませているのでしょうか。森は本当に静かでした。額から汗が流れ、熱かった体がじんわりと冷えていくのがわかります。枝が風で揺れると、枝と枝の間に出来た隙間からまっすぐに光が差し込み、森は淡い陰影を宿した空間へと変わります。わずかに地上に届く木漏れ日をぼんやりと見つめていると、まるで自分が深い海の中にいるような気になってきます。そして、なんともいえない安らかな気持ちに満たされていくのです。近くから、カーン、カーンという音が聞こえてきました。モボリが、採ってきたばかりの“コンベレ”を割っているのでしょう。目に飛び込んできた明るい光が、正午に近いことを告げています。 {{img manja.jpg,height="350"}} 森の巨木“mbo(''Pachyelasma tessmannii'')”。