1. 研究活動を支えるプロジェクト
京都大学の研究グループは,1970年代から80年代にかけてザイール(現・コンゴ民主共和国),次いでコンゴ共和国の熱帯雨林地域において「熱帯雨林の持続的利用に関する研究」プロジェクトを進めてきた。しかしその後,コンゴにおける政変の勃発とそれに伴う政情・民情の混乱のために,調査地をカメルーンに変え,1993年に,コンゴと国境を接した東部州の熱帯雨林地域において,焼畑農耕民,狩猟採集民による森林利用に関する研究に着手することになった。その翌年には,浜松医科大学の佐藤弘明教授のグループ,さらに1996年には神戸学院大学の寺嶋秀明教授らのグループが相次いでこの地域での人類学的調査に加わった。研究のテーマも,狩猟採集活動や民族植物学,焼畑農耕システムといった当初からの生態人類学的なものに加えて,精霊パフォーマンスや歌と踊り,母子関係と養育行動,子どもの遊びと学校教育,食生活と栄養,狩猟採集民の運動生理学,人間居住・農耕活動の歴史と植生変化,焼畑による森林の循環的利用,自然保護計画が地域住民に及ぼす影響,漁労活動の生態など,多岐の分野に拡がっていった。 これら一連の研究は,ヤウンデ第1大学人文社会学研究科のGodefroy Ngima Mawoung博士を受け入れ研究者として行われた。現在では,同大学をはじめ,カメルーン国内の大学や研究機関に所属する若手研究者や大学院生との共同研究も始まっている。 2002年から2007年まで行われた21COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」や,その後2008年から2012年まで行われたグローバルCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」により,カメルーンをフィールドとする大学院生,研究者の活動の場はさらに広がった。地域的には東部州だけでなく,ヤウンデ市を中心とする中央州,北部州や極北州,アダマワ州などで現地調査を行う者が現れ,それに伴い研究テーマも,環境社会学,都市研究や民族音楽学,障害学などへとさらなる展開を見せている。 2010年代に入ると,これまでの研究蓄積をもとにしたプロジェクト型の大規模研究も始まった。2013年現在,JSTとJICAの共同事業である地球規模課題対応国際科学技術協力事業「カメルーン森林―サバンナ持続性プロジェクト」と,新学術領域研究「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相」の研究項目A2:「狩猟採集民の調査に基づくヒトの学習行動の特性の実証的研究」という2つの大型プロジェクトが走っており,それぞれ東部州ブンバ・ンゴコ県グリベ村とオニョン県ロミエ市を拠点として活発に研究が行われている。
2. フィールドステーションの設置
このような調査活動の興隆をうけて,基地となる施設の必要性が高まってきた。すなわち,付近に住む狩猟採集民,焼畑農耕民に関する調査をおこなうとともに,集めた資料・標本を整理したり,情報交換や簡単なセミナー等をおこなうことができるようなスペースが必要と感じられるようになった。そこで1990年代の末に,佐藤弘明博士を中心とした研究者らによって,コンゴ共和国との国境を流れるジャー川のほとりのドンゴ村の近くに,現地素材を利用した家屋が建設された。 2002年に京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科において,先述した21世紀COEプログラムがスタートしたが,その副題は「フィールドステーションを活用した臨地教育・研究体制の推進」であった。このプログラムは,アジア・アフリカの各地にフィールドステーションを設け,そこを拠点としてフィールドワークと臨地教育を推進するという計画であった。そこで,すでに建設されていたドンゴ村の家屋を整備し,正式にカメルーン・フィールドステーションとすることになった。ステーションの家屋を増築・拡充したほか,太陽光発電設備や衛星電話,コンピュータ等のシステムも整えた。 このドンゴ・フィールドステーションは,その後も,ジャー川流域を調査するための大型カヌーや船外機,出力の大きな石油発電機などが増強され,しだいに「調査基地」としての体裁を整えていった。その背後には,京都大学のみならず,前述した浜松医科大学,神戸学院大学をはじめ,東京大学,山梨大学,山口大学,静岡大学,東京都立大学など,多数の研究者の協力があった。現在に至るまで,この基地はこれらの大学の研究者・学生の共同利用に供されている。 さらに2008年には,東部州のみならずカメルーン全土で活動する大学院生・研究者や,都市部での調査研究の便宜を図ることを目的に,首都ヤウンデ市内ティンガ地区の住宅街の一角に,賃貸マンションを借りることとなった。このティンガ・フィールドステーションには,コンピュータ関連機器やインターネット設備,机,椅子などが備えられ,ヤウンデでの宿泊,調査許可の取得・更新をはじめ,調査地に向かう前の準備や調査資料の整理・分析に利用されるようになった。都市部と農村部に設置されたこれら2つのフィールドステーションは,研究者の活動拠点となっているだけでなく,現地の研究者や実務者との研究会やセミナーがたびたび企画・実施されるなど,研究成果の現地還元を目指した活発な情報交換のために使われている。
3. 現地セミナー,フィールドスクールの開催
カメルーンの東南部では,大規模な熱帯林伐採が続く一方で,生物多様性保全のための国立公園や保護区の設定が相次いでいる。こうした事業の大きな課題の一つは,自然保護計画と住民の生活の融合である。そこで「森林地域の住民生活と調和した自然保護活動はどのようにしたら可能か」をテーマに,2003年12月に東部州ブンバ=ンゴコ県の県庁所在地ヨカドゥマ市において,WWFカメルーンとの共同セミナーが開催された。日本側からは,四方篝と服部志帆が話題を提供し,木村大治博士と大石高典が討論に参加した。 それに続いて2005年12月には,同様のテーマを掲げたワークショップが,首都のヤウンデ市で開かれた。東部州だけでなくカメルーン全土から,自然保護と開発に関するプロジェクトを推進している関係者が参加した。研究者や実務家のほか,ヤウンデ大学大学院生,京都大学大学院生,日本大使館員など,さまざまな立場を代表する合計30人あまりが活発な討論をおこなった。 2009年8月下旬から9月初旬には,京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の教育改革支援プログラム「研究と実務を架橋するフィールドスクール」による,大学院生対象の現地研修が開催された。アフリカだけでなく東南アジアや南アジアなど多様な地域で研究を展開する13名の大学院生が参加した。8月30日には,首都ヤウンデにおいて,カウンターパート校であるヤウンデ第1大学の教員やJICA専門家の方から,カメルーンにおける熱帯林の保全や生態資源の利用,開発プロジェクトの現況などについて講義を受けた。その後,8月31日から9月7日までは東部州と西部州において現地実習を行った。8月29日,9月3日には,「院生発案共同研究」の報告会が行われ,スクール参加者もその報告会に出席した。
4. 国際シンポジウムの開催
過去2回の現地セミナー・ワークショップの成果を踏まえ,2009年2月7日に首都ヤウンデ市内において,国際シンポジウム"Biological Conservation and Local Community's Needs: Lessons from Field Studies on Nature-Dependent Societies"が開催された<プログラムと要旨へのリンク>。会場の農業会館には120人余りの参加者があった。国際機関やNGOで働く実務家や研究者,関係省庁の行政官,カメルーンで調査中の海外の研究者が,それぞれの発表に熱心に聞き入った。参加者の多くは,今後,実践面で研究をどのように生かしていくかということに強い関心を持っており,研究者による具体的な行動に期待が抱かれていることが強く実感された。 2010年3月には,1970年代よりアフリカ熱帯林地域の狩猟採集民研究を牽引してきた市川光雄教授が京都大学を定年退官した。3月13日,市川教授の退官を記念し,これまでの中部アフリカにおける研究を振り返ると同時に地域課題を考えるために,京都大学アフリカ地域研究資料センターの主催により,国際シンポジウム「コンゴ盆地森林居住民の文化と現代的課題」が開催された<プログラム詳細リンク>。ピグミー及び隣接諸民族の言語研究で著名なDidier Demolin博士と,中部アフリカ地域における先住民の権利確立に向けた実践的研究を精力的に行っているJerome Lewis博士が招待講演を行い,小松かおり博士と安岡宏和博士が最新の研究報告を行った。また,同時期に京都大学学術出版会から刊行された『森棲みの生態誌』,『森棲みの社会誌』の若手執筆陣が,それぞれの研究についてポスター発表<演題一覧リンク>を行った。 このほか,1998年に大阪で,2002年にイギリスのエジンバラで開催された第8回,第9回国際狩猟採集民会議(CHAGS8, CHAGS9),2010年9月にフランスのモンペリエで行われた,コンゴ盆地の狩猟採集民に関する国際会議(International Conference on Congo Basin Hunter-Gatherers)をはじめとする国際会議に,カメルーンで研究をおこなっている多くの研究者,大学院生が参加し,成果を発表するとともに,諸外国の研究者コミュニティとの積極的な研究交流を図っている。
5. 研究成果の発信
5-1. 『森棲みの生態誌』と『森棲みの社会誌』の刊行
先に触れたように,2010年,市川光雄教授の退官を記念して,カメルーンを中心とするアフリカ熱帯林の研究成果をまとめた二冊の本が出版された。生態人類学的な側面の強い研究は『森棲みの生態誌』に,社会・文化的側面に重きを置いた研究は,『森棲みの社会誌』にまとめられている。両者はそれぞれ独立の論文集ではあるが,共通の問題意識をもって同時に編集されており,巻をまたいで関連する話題が議論されている。
5-2. African Study Monographs誌特集号の刊行
京都大学アフリカ地域研究資料センターが刊行する欧文の査読付き学術雑誌African Study Monographs (以下ASM) において,カメルーンに関する特集号が組まれてきた。 1993年にはじまるカメルーンでの研究の出発点となったのは,1970年代からのコンゴ民主共和国(旧ザイール)における狩猟採集民の生態人類学的調査であった。市川光雄博士が編集したASM Supplementary Issue No.25 (1998) "Man and Nature in Central African Forests"にはこれらの初期の成果がまとめられている。 また先述した第8~9回国際狩猟採集民会議 (CHAGS8、およびCHAGS9)における報告内容は,ASM Supplementary Issue No.26 (2001) "Persisting Cultures And Contemporary Problems Among African Hunter-Gatherers" (市川光雄・田中二郎編),同No.28 (2003) "Recent Advances in Central African Hunter-Gatherer Research" (市川光雄・木村大治編)で知ることができる。 カメルーンにおける研究基盤が固まり,多くのプロジェクトが始動する中で,これまでの研究蓄積を整理する意味合いをこめて,ASM Supplementary Issuue No.33 (2006) "Ecology and Change of the Hunter-Gatherer Societies in the Western Congo Basin" (市川光雄・安岡宏和編)が出版された。生態学,社会組織,森に棲む人々の経済活動など,カメルーン研究が多岐の方面に展開していく様子が伺える。 1993年からの約20年を振り返ると,研究の視点が,人と森の関係を,静的なものから,ダイナミックで変わりうるものへと見直すようになったことがよくわかる。最新の成果であるASM Supplementary Issuue No.43 (2012) "Land Use, Livlihood, and Changing Relationships Between Man and Forests in Central Africa" (市川光雄・木村大治・安岡宏和編)は,こうした観点から現代のアフリカ直面する問題について問うている。 以上が,カメルーンとその周辺地域で行われてきた研究に関係するASM特集号の概略である。これらの特集号には,日本人研究者のみならず,研究関心を共有する海外研究者から寄稿された論文も数多く含まれている。我々はこれからも,フィールドワークから生まれたバラエティ豊かな成果を発信していきたい。