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あなたの知らない世界

 それは、忘れもしない2001年9月下旬のできごとだった。その日は確か雨が降ったように思う。夕食をすませた私は、いつものようにランプの明かりを消して、蚊帳のつりさがったベッドに横たわり、「明日は晴れますように」と念じながら眠りについた。ランプを消したあとには、すいこまれるような暗闇と静寂の時間が訪れる。ツリーハイラックスの高い声だけが、遠くの森に響き渡る―――。

何時だったのか、もはやわからない。かなり夜もふけた頃「ピヨピヨピヨ・・・」とヒヨコの鳴く声が聞こえた。実は数日前から、3羽のメンドリが私のベッドの横で卵をあたためはじめていた。そのことには気づいていたのだが、フィールドでの生活も長くなり「動物との共存」に対してかなり寛大になっていた私は「メスだし鳴かないからまあいいか。」と思ってそのままにしていたのだった。 ヒヨコの鳴き声を聞いたあほな私は「へえー、ヒヨコってこんな夜中に生まれるのかー。おめでとうー。」などと無邪気に祝福しつつ、眠りつづけようとした。しかし、あまりにもうるさい。「ピヨピヨピヨピヨ」だけでなく「コッコッコッコ」と大合唱になっている。 

 「ええい、うるさい!何事?!」と思って、私は懐中電灯のスイッチを押した。 

 光で照らされた地面にくりひろげられていた光景は、まさに地獄絵。なんと、ベッドの前は一面サファリアリ*が歩きまわり、真っ黒のじゅうたんになっていたのだ。サファリアリとは、アフリカの熱帯雨林帯で調査している人なら誰もが恐れるアリ。彼らはするどい牙を持ち、えさとなる獲物を見つけるやいなや、ガブリとそのするどい牙で襲いかかる。ときどき、森のなかでもその大群と遭遇するのだが、いちばんたちが悪いのがこのように寝込みを襲われたときだ。 その真っ黒のじゅうたんのなかに、ヒヨコたちはいた。からだ中をアリにたかられ、逃げ惑う10数羽のヒヨコたち。我を忘れて走り回る親鳥3羽。  

 「どどどどうしよう、助けなきゃ(←極めて日本人的な思考パターンである)」

 などと思っている間に、親鳥たちは我を忘れて私に襲いかかる。彼女たちはするどい爪をひっさげて、容赦なく私の頭の上にのっかってきたり、蚊帳のうえでバッサバッサと走り回ったり、スーツケースの上でフンをしたり。わー、やめてー!!そうこうするうちに、

「ピヨピヨピヨピヨピヨ・・・・・・・」

し――ん。 

 ヒヨコたちはアリに食いつぶされ、部屋のそこここに黒い山ができていく。私はその一部始終を呆然と見ていることしかできなかった。しかし、そのショックから立ち直るまもなく、 今度はその黒いさざなみが私のベッドの上にもじりじりと迫り来る。「い、いかん。このままでは私もやられる」と思い、私は決死の覚悟を決め、はだしでサファリアリのじゅうたんを走り抜けた。 足のつま先から頭のてっぺんまではいあがってくるアリを振り落としつつ、私はアリのいないエリアを探した。幸いなことに、まだアリが到達していないいすを見つけた。私はその上に飛び乗り、灯油をいすのまわりに振りまいた。連中は灯油が大嫌いなのだ。そのまま朝までいすの上で三角ずわりしながら、眠れぬ夜をすごした。

その後、私がメンドリの入室を厳しく禁じたことは言うまでもない。

 *学問上、新大陸にいるものは「軍隊アリ」、旧大陸にいるものは「さすらいアリ」と 呼ぶのだそうですが、カメルーン隊のメンバーのあいだでは、「サファリアリ」と呼ば れています。