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「ろんぶ〜ん」補遺


2018年1月10日,NHK Eテレ「ろんぶ〜ん」に出演し,本書『見知らぬものと出会う』の内容に関連することを喋りました。それに対する感想の中に,おおよそ次のような内容のものがありました。
最初の方で 「地球の法則は通用しないかもしれない」と言っていたのに,後半で「宇宙人にも寛容の原理はあてはまるはずだ」と言ったのはおかしい。
この点はたしかに一見して矛盾であり,かつ本書の内容に関する本質的な批判であると思われます。このあたりで混乱した方も多かったと思うので,ここで若干の補足説明をしておきたいと思います。

まず,前半の「地球の法則は通用しないかもしれない」の部分は,本書における思考実験の前提を述べたものです。そもそも宇宙人を考えるということは,われわれと何かが共通していない存在を想定してみる,という作業であったはずです。「ろんぶ〜ん」では,それをまとめて「法則」と呼んでしまい,それが混乱を招くひとつの原因になったと思います。(ちなみに私は,本書の中でこのような意味で「法則」とか「規則」という言葉は用いていません。) そこには実は,以下のよう複数の概念が含まれているのです。
  1. まず記号論で「コード」と呼ばれるもの。ソシュール的な,「イヌ」という音声と動物の「犬」の(元来は恣意的な)対応などを考えればいいと思いますが,これに関しては宇宙人とはあらかじめは共有されてないと考えてよいでしょう。

  2. 次に,私が本書で「自然コード」と呼んだものがあります。つまり,数学の定理とか,物理法則などで,それらが宇宙人とのコミュニケーションのキーになるだろうという想定はSFやSETIによくでてくるものであり,「ろんぶ〜ん」でもこの点に言及していました。私自身,これらは宇宙人と地球人との間で「互いに顕在的なもの」という意味で共有されていると考えています。(しかしそれは恣意的な取り決めではないので,実は「コード」と呼ぶのは不適切なのですが。)

  3. 最後に,「あるパターンから規則性を読み取る」という作業があります。これは本書第4章「規則性の性質」で長々と論じた事柄ですが,私はここに,本質的な不確定性が存在しており,宇宙人と一致するという保証はないことを指摘しました。ここのところが,「ろんぶ〜ん」での,数列 1,2,3,4,5 の次に何が来るか?という問いに対して,6 も 126 も答えになる,というシーンにつながっています。
以上,書いてみると相当ややこしい状況で,本書でもこのあたりがきちんとまとめられているとは言えないのですが(反省),私は,結局そこでありえるのは,『こぎつねコンとこだぬきポン』の話であったように,お互いの「行為の絡み合い」の中に規則性を作り出していくことのみだと考えました。通常の「コード」は,あるいは「自然コード」でさえも,そのためのリソースなのです。

さて,後半の「宇宙人にも寛容の原理はあてはまるはずだ」というのは,それでもなお宇宙人とコミュニケーションができるとするなら,それはどういった場合かということを考えたときに想定される事態を述べたものです。そのような「行為の絡み合い」が生成するためには,それをめざすお互いの「志向性」が必須となり,それがデイヴィドソンの言う「寛容の原理」なのです。もちろん本書では,寛容の原理が通用しない宇宙人がいたら,という想定にも触れており,それは番組の中でも「宇宙人に無視される可能性」ということで言及されています。

やはり長い論考の内容を,あのような短い番組の中できちんと紹介することはなかなか難しかったと思います。より詳しく知りたい方は,ぜひ『見知らぬものと出会う』をお買い求めください (^^)。