5. 「拡散する声」の文化

ここまで見てきた,いわば「拡散する声」とでも言える現象は,従来の会話理論のなかでは,通常の会話形態からの逸脱形態であると捉えられてきた。しかしボンガンド社会においては,それが何の無理もなく社会の中に埋め込まれ,彼らなりの「やり口」として完遂されている。こういった事例を目の前にしていつも思うのは,これまでのコミュニケーション理論が,いかに欧米の(「理想的」とされる)コミュニケーション形式を座標原点として組み立てられているかということである。それに対置する枠組みを立てるまでにはまだ至っていないが,こういった記述を積み重ねていくことは,コミュニケーション研究の可能性を押し広げ,従来の枠をずらしてゆく契機となりうるだろう。

たとえば現在,携帯電話,インターネットといった新しいメディアの普及によって,我々自身の社会的なつながり方は,これまでと異なる様相を帯びて来つつある。しかし,それらを記述する方策を,我々はまだ十分に持ち合わせてるとはいえない。「拡散する声」の文化が,ダイレクトにその分析のモデルになりえるとは思わないが,文化的に鍛えられたその姿を記述していくことは,我々自身の21世紀のコミュニケーションを考える上でも重要な手がかりになるに違いない。

(この小論は,近刊の『多中心主義の構築へ−アフリカのことばと社会から考える』 (松田素二,宮本正興編 人文書院)の中に書いた文章の一部を要約した ものです。 より詳しい内容を知りたい方は,この本をお買い求めください。)