ナイジェリアの農耕民 (島田周平)



西部ナイジェリアのココア・ベルトに出稼ぎにきて,そこで食糧生産を行っているエビラ(イグビラとも呼ぶ)人の村で撮った写真(1978年)です。一緒に写っているのはイグビラ村の当時の村長ブライモ氏です。出稼ぎ村における耕作形態の調査をしていたときのものです。この時のことは,雑誌『未来』(1981-1982)に雑文の形で書きました。特にブライモ氏のことは『未来』188号(1982年)に「ブライモ氏とアパタ氏」というタイトルで書きました。この後すぐに彼はナイジェリア中部にある故郷の村に帰り,1983年に亡くなりました。何時も穏やかでよく働く人でした。


ナイジェリア中部のエビラ人の村のキャッサバ畑で撮った写真(1987年)です。一緒に立っているのは調査助手をしてもらったラフマン君です。この時は変転きわまりない叢林休閑耕作畑の実測を行いました。頭の手ぬぐいは,滴る汗でメガネが曇らないためのもので,他意はありません。この結果は『人文地理』や『GeographicalReview of Japan』他,幾つかの論文にまとめました。ちなみに彼は現在教員免許をとるべく教員養成の短期大学で学んでいます。学費の捻出に頭を悩ませています。


ザンビアの首都ルサカからおよそ100kmほど北に行ったところにある村でのスナップ(1998年)です。この村には,ダンボと呼ばれる低湿地帯があり,ここで乾季にトマトやスイカなどの野菜を栽培しています。最近の市場の自由化が,都市に近いこの村では有利に働き,ダンボ耕作は村人の多額の現金をもたらしました。写真に写っているモヨ氏は四人の妻を持つ篤農家で,いつも次なる計画を考えています。畑仕事中にウォークマンを頭にかけていることがあり,何を聞いているのかと問えば「自分で吹き込んだポエムだ」との答えが返ってきました。彼は伝統医でもあります。いや,彼のことになると話は尽きそうにありません…。「ザンビアの‥、ダンボ耕作‥」というタイトルの論文や報告は殆どこの村における調査結果です。この調査は現在も継続中です。