第84回 木津川下流部の天井川

 趣旨

天井川は周囲より高い所を流れる河川であり、堤防の建設によって形成されていると言われています。特に、京都南部の木津川下流域は天井川が多数存在する事で知られています。今回の研究会では、河川の自然な働きと古代以来の人間の暮らしのせめぎ合いが作り出した天井川という地形を通して、人類が自然へと与える影響力の強さを学んでいきます。

 案内者

  • 石川 怜志(東京大学大学院新領域創成科学研究科 M2)
  • 田中 孝明(京都大学大学院工学研究科 M1)

 野外実習の概要

日時
2013年12月1日(日)
場所
京都府田辺市ほか

参加者
7名 (学部生1 [大阪大学 -文1]、 院生3[工1;地球環境1 ; 東京大学‐新領域1]、 教職員など3 [AA研1;地球研1;地球環境OB1])
行程

京都大学(稲盛記念館)集合→取り壊し中の天井川(防賀川)・天井川の解説→天井川内部の露頭(馬坂川)を見学→水路が交差する天井川(天神津川)を見学→不動川砂防公園で昼食→微高地の広がる天井川と集落(鳴子川・不動川他)を見学→山城郷土資料館→木津川北部右岸の天井川を見る(長谷川など)→京都にて打ち上げ

 報告

今回は木津川支流における天井川の観察を行いました。

いつもの様に稲盛財団記念館に集合後、車で京都府南部の木津川流域まで移動します。


最初の見学地で、天井川についての説明を受けています。天井川とは、河床が周辺よりも高くなった河川を指しており、基本的には堤防の建設など人為的な要因によって形成されています。全国の天井川の分布の特徴としては、地質が花崗岩質であること、人が古くから住む場所であることなどが挙げられます。

今回巡検を行った木津川の下流部には多くの天井川が存在しますが、この地域では花崗岩が多く見られ、近くに都も存在していました。17世紀頃の文献にはすでに河川が天井川化しているとの記述もみられ、豊臣秀吉が木津川に堤防を建設してから天井川が増加したとの報告がされているそうです。




最初の天井川の見学。道路の上に跨道橋がありますが、この橋の上に川が流れています。普通に車を運転していても、このことには気づきません。


跨道橋の上の様子。右側の人物がいるところに河川が流れていて、中心部は現在の堤防の高さ。左側にある建物の面が現在の周辺の高さであり、これは川よりもおよそ6m下にあります。


同志社大学近くの防賀川です。天井川を崩して河床を下げる工事を行っている最中です。右側の高まりの上をもともと河川が流れており、それを左側の流路に変更しています。


工事現場の看板に工事の詳しい内容が説明されています。


京田辺駅近くの天井川で露頭の観察。ラミナ(肉眼で識別できる最小の地層構造)が確認でき、花崗岩が風化した土壌である真砂土によって地層が構成されているのがわかります。

第84回 木津川下流部の天井川#2」へ続く

京都大学自然地理研究会

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