第64回 京大周辺の自然観察:大文字山、琵琶湖疏水

 趣旨

今回は身近なフィールドで自然地理学の一端を紹介する。京大生にとって身近なフィールドである大文字山を歩き、地質の面では山を構成する岩石である花崗岩とホルンフェルスの観察を行い、植生の面では京都盆地周辺に見られる代表的な樹木を観察し、京都近郊の植生を巡る最近の動きについて紹介する。また、大文字山の麓を流れる琵琶湖疏水を、主に立地や地形に着目して見学する。

 案内者

  • 田村茂樹(京都大学修士(理学))
  • 中村真介(農学研究科)
  • 高取惇哉(人間・環境学研究科)

 野外実習の概要

日時

2011年4月24日(日)

場所
京都市左京区・東山区
参加者
19名 (学部生9 [文2;医1;工1;農1;名古屋大学-医1;大阪大学-外国語1;立命館大学-文1;奈良大学-文1]、 院生7 [農1;人環1;AA研4;地環1]、 教員2 [AA研2]、 その他1)
行程
白川今出川交差点〜銀閣寺山門前〜「大」の字の火床(昼食)〜鹿ヶ谷〜南禅寺水路閣〜琵琶湖疏水記念館〜蹴上インクライン

 報告

今回は新年度最初の研究会ということで、京大生にとって身近なフィールドである大文字山を訪れ、地質・地形や植生の観察を行いました。また下山後は、大文字山の麓を流れる琵琶湖疏水(琵琶湖から京都へ水を運ぶために、明治期に造られた人工水路)を、自然地理学的な側面に着目して観察しました。

 

朝は白川今出川交差点に集合です。銀閣寺にほど近いこの交差点は、琵琶湖疏水の分線に沿って延びる哲学の道の始点としても知られ、桜の時期は大勢の行楽客で賑わいます。

大文字山の象徴ともいえる「大」の字の火床を眺めつつ、今日の行程を確認します。

疏水分線を離れて、大文字山の山麓にある銀閣寺(慈照寺)の山門に向かいます。ここで、山を構成する岩石について学びます。大文字山周辺は主に、花崗岩とホルンフェルスという2種類の岩石で構成されています。白亜紀の頃、泥岩や砂岩が分布する地域にマグマが上昇してきました。このときのマグマが地中でゆっくり冷えて固まったのが花崗岩です。一方、砂岩や泥岩はマグマの熱で鉱物組成を変え(接触変成)、ホルンフェルスとなりました。

銀閣寺山門前の石畳には、大文字山周辺のものと思われる泥岩ホルンフェルスが使われています。よく見ると所々に凹んだ部分があるのですが、これは接触変成によってできた菫青石という鉱物が挟まっていた跡です。菫青石の多くは、石畳になった後の摩擦や浸食でなくなってしまったため、現在はわずかしか見ることができません。

山門を離れ、今度は植生の観察です。写真の中央上に写っているこんもりとした樹冠は、常緑広葉樹のシイ(おそらくコジイ)です。シイは京都近郊でこの数十年間に飛躍的に増えており、市内では比較的分布の少ない大文字山でも、このように山麓の一部に見ることができます。

少し進んで、次はチャートという岩石の観察です。チャートは堆積岩の一種で、放散虫(二酸化珪素の殻をもつ植物プランクトン)の死骸が堆積してできたものです。ここの露頭では、だいぶ風化が進んでいます。

白い河床の目立つ小川に沿った道を上り、ようやく大文字山の登山口まで辿り着きました。ここでは、花崗岩の風化の様子が観察できます。花崗岩は、無色鉱物の石英や長石、有色鉱物の黒雲母などから成る岩石で、とても風化しやすいのが特徴です。風化してボロボロに崩れた花崗岩は真砂(まさ)と呼ばれており、これが河床にたまって白く見えることから、花崗岩の上に立つ比叡平から流れ出る川は白川と名付けられています。

登山道を少し登り、途中からルートを外れた所に、太閤岩と呼ばれる昔の石切場があります。露頭観察にはもってこいの場所です。

太閤岩から少し登ると、写真のように、ビニールに覆われた奇妙な物体がたくさん見えてきました。これは、ナラ枯れという樹病に罹った木を伐採し、ビニールで包んだものです。ナラ枯れとは、コナラやミズナラなどのブナ科樹木がカシノナガキクイムシ(通称カシナガ)の穿入を受け、カシナガの媒介するナラ菌によって通水機能を失い、集団的に枯れる現象をいいます。ナラ枯れに罹った木は、カシナガが他の木に穿入して感染が拡大するのを防ぐため、このように伐倒してビニールに包み、燻蒸します。

ようやく「大」の字の火床に着きました。ここは毎年8月に送り火が焚かれる場所で、京都盆地を見下ろす大展望が得られます。ここで、京都盆地の成り立ちを勉強します。

送り火には、原則としてこの大文字山のアカマツを用いますが、1970年代以降京都に蔓延したマツ枯れにより、現在は供給が困難になっています。マツ枯れとは、マツ材線虫病という伝染病によってマツの仲間(アカマツやクロマツなど)が枯れる現象のことで、マツノマダラカミキリという昆虫の媒介するマツノザイセンチュウがマツに寄生し、水輸送の急激な停止をもたらします。写真で赤茶色に枯れているマツは、おそらくマツ枯れに罹ったものです。

一方で、林床にはこのようにアカマツの実生も見られます。しかしその数は、決して多くありません。

 

予定では大文字山の山頂まで登ってから縦走して南禅寺へ下りることにしていましたが、雲行きが怪しいので、火床からそのまま鹿ヶ谷に下りることにしました。空が黒くなってきたなと思っていたら、昼食を食べ終わる頃に遂に降り始めてしまったので、急いで下山します。

 

鹿ヶ谷に下りたところで、再び琵琶湖疏水の分線と哲学の道に出会います。これに沿って南進し、やがて永観堂の北まで来たところで哲学の道が終わります。疏水ともまたしばしのお別れです。雨が上がりつつある中、南禅寺を目指して歩いていると、道の下を横切る細い水路をみつけました。時間に余裕ができたので、この流れを辿って少し坂を上っていくと、また疏水分線に出会うことができました。

この水路(写真)はおそらく、水車動力などに水を利用するために、かつて疏水分線から引かれた分水路だと思われます。

 

さらに南へ進み、南禅寺に到着です。疏水分線は、動力を使わずに、標高の高い京都盆地の北部へと水を運ぶため、微地形を見極めながらルートが選定されています。ここ南禅寺では、社寺境内ということで景観に配慮したレンガ造りの高架橋が用いられています。俗に言う水路閣です。

これが水路閣の全景です。テレビドラマなどにもよく登場します。

琵琶湖疏水と水路閣について、案内者から熱い解説を受けます。

南禅寺から琵琶湖疏水記念館に移り、琵琶湖疏水の歴史や役割を学びます。写真は、地形図のパネルを見ながら、琵琶湖疏水がどのような立地の場所を選んで造られたのか、学んでいるところです。

館内の見学が済んだら、外に出てインクラインの跡を歩きます。琵琶湖疏水は、水力発電のために蹴上周辺であえて高度差が付けられましたが、そのままの傾斜では舟が通航できないため、ケーブルカーと同じ原理のインクラインが用いられました。舟運がなくなった今は使われておらず、散策路になっています。

インクラインの上の舟溜まり跡です。中央に写っているのは、復元展示されている三十石船とその台車です。

写真は、関西電力蹴上発電所の送水パイプを上から見下ろしたものです。ここは36.4mの落差を利用して発電されている、今なお現役の水力発電所です。

最後に、インクラインの下をくぐっている歩行者用トンネルを観察します。このトンネルは、舟やその積載物などの重量を分散するため、レンガが水平ではなく少し斜めに積み重ねられており、俗にねじりまんぽと呼ばれています。

 

これで本日の行程は終了です。思わぬ雨により、ルートや、テーマの比重が変わってしまいましたが、ご満足いただけたでしょうか。この後、参加者の多くはさらに疏水の本線(鴨東運河)を鴨川まで歩き詰め、三条付近で打ち上げを行いました。

今回の記念写真は、大文字山の火床の上です。お疲れさまでした!

京都大学自然地理研究会

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