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研究史

所属は原則として現在のもので,初出のみ記す。過去のものは(当時・○○)とした。京都大学に所属するものは所属を省略した。

1. 日本人研究者によるカメルーン研究の歴史

1-1. 初期の霊長類調査と自然科学的研究

 わが国の研究者によるカメルーンでの学術調査の歴史は古く,50年以上前に遡る。京都大学の故・伊谷純一郎が森林性大型類人猿の予備調査のために単身でカメルーンのジャー保護区に入ったのは,カメルーン独立前の1958年のことであった。その当時の模様は,『アフリカ動物記』(1964年)の第一章に詳細に紹介されている。このとき伊谷は結果的には,カメルーンから転進し,コンゴ盆地東側のザイールの森に目を向けたのであった。それからしばらく間をあけて,1980年代に入ると,当時京都大学霊長類研究所教授であった河合雅雄らのグループが,南西部州カンポ国立公園に赴き,ドリル・マンドリル等の森林性オナガザル類の調査に着手した。次いで1990年代にかけて,大沢秀行,中川尚史らが北部のカラマルエ国立公園において,パタスモンキーなどサバンナ性のサルの調査を行った。 霊長類研究所による研究プロジェクトと並行して,小清水弘一らがカンポ国立公園の薬用植物の生薬成分の,梶幹男(東京大学)が同地域の森林植生の研究を行った。同時期に中条廣義(当時・中部大学)は,森林とサバンナの境界領域で植物社会学的な研究を行っている。 自然科学分野では,生物学以外でも日本人研究者による継続的な研究が行われてきている。門村浩(当時・東京都立大学),堀信行(同)らによる自然地理学的な研究や,日下部実(当時・岡山大学)らによるニオス湖とマヌーン湖(火山湖であり,ガス爆発により甚大な自然災害を発生させた)に関する地球科学的な研究である。

1-2. 文化人類学・人文学研究

 一方,カメルーンにおける文化人類学的な研究は,1960年代末におこなわれた東京外国語大学の故・富川盛道,日野舜也らによって組織された「大サバンナ学術調査隊」以降,急速に活発になった。カメルーンにおける都市人類学の草分けである日野は,アダマワ州の中心都市ンガウンデレと,バングブーム村を調査地として研究を展開した。和崎春日(中部国際大学)は北西部のフンバンとその周辺のバムン人社会を,嶋田義仁(名古屋大学)は北部レイブーバのイスラーム王国を対象に研究を継続している。平野(野元)美佐は,首都ヤウンデ西部州をフィールドに,商業民として有名なバミレケの研究を行っている。都市人類学研究は名古屋大学の若手を中心に継承されており,最近では,小林未央子(名古屋大学)がイスラーム王国における女性生活を,塩谷暁代(名古屋大学)がエトンの市場活動を研究している。 カメルーン北西部の英語圏地域では,端信行(当時・国立民族学博物館)によるマンコンの伝統的王制社会のチーフダムに関する研究や,佐々木重洋(名古屋大学)によるクロス・リバー地域のエジャガム社会の仮面文化に関する研究が行われている。現在,後藤澄子(名古屋大学)が北西部州のチーフダムであるンカンベの研究を行っている。 言語学の分野では,故・江口一久(当時・国立民族学博物館)が長年にわたってマルアを調査拠点としてフルベの民話・口頭伝承研究を行っている。記述言語学では,湯川恭敏(当時・東京外国語大学)がカメルーン西部を中心にバントゥ諸語の,加賀谷良平(当時・東京外国語大学)がカメルーン北西部のバクウェリ語を対象とした研究を行った。これに加えて最近では亀井伸孝(愛知県立大学)がろう者の手話言語の研究を行っている。 物質文化に関しては,森淳(当時・大阪芸術大学),井関和代(大阪芸術大学)による手工芸文化研究がおこなわれている。

1-3. 生態人類学研究

 京都大学のアフリカ研究はこれまで,生態人類学をひとつの軸として展開されてきたが,カメルーンにおける生態人類学的調査は,上述の伊谷の予察の後30年以上を経て,1993年の木村大治,塙狼星,小松かおり,佐々木重洋による調査においてようやく開始された。これ以降,主としてカメルーンの南半分を占める熱帯雨林地域を舞台として,森林居住民の生態経済・社会・文化に関する研究が進められてきた。そこには内容の多様さにも関わらず,いくつかの明瞭な特色を見て取ることができる。1つは,どの研究も,長期間にわたるフィールドワークに裏打ちされているという点である。もう一つは「研究密度」の高さである。カメルーン東南部では,比較的狭い範囲のなかで,狩猟採集,農耕,漁労といった多彩な生業形態を観察できる。人々の居住地は,道路沿いの村落に軸足を置きつつも,一次林の中の狩猟キャンプや,河川のほとりに作られた漁労キャンプにも展開されている。このような多様なプロフィールを持つ人々が居住する地域を,20人を越える研究者が集中的に調査しているのである。

 こういった研究のバックボーンになっているのが,広い意味での「生態学」の思想である。生態学(ecology)とは,現在では「生物とそれをとりまく環境の相互関係を考える学問」などと定義されているが,その本来の意味は,より広い射程を持っている。"Ecology"という語の"eco"は,ギリシャ語の「オイコス=家」に由来し,したがって"ecology"は「住み家とその外側の環境を考える学問」という意味を持つのだが,ここでいう「環境」とは,生物学的なそれに限定されているわけではない。社会・文化的な領域においても,当該の事象をその周囲の環境との関わりにおいて捉えていこうとする姿勢,それこそが広義の生態学的態度と言えるのである。

 一方,これまでの生態人類学的研究に対しては,「歴史的視点」の少なさが弱点として指摘されてきた。すなわち,いま現在の人々の生きざまの記述に集中するあまり,歴史資料などを用いた研究がおろそかになり,地域史の中に当該の事象を位置づけることができていなかった,というわけである。もう一つの問題は,当該社会とその環境に集中的に焦点を当てていたため,より広い世界とのつながりへの配慮に欠けていたということである。しかし,市川光雄の提唱する文化生態学,歴史生態学,政治生態学の3つの生態学の研究枠組みに影響を受けつつ,最近の研究では,歴史的な視点からのアプローチ,外の世界との関係に配慮した研究が多く試みられるようになっている。

2. 最近の研究展開

 以下では,1990-2000年代を通じて特に集中的に研究が行われてきた,狩猟採集民と焼畑農耕民を対象とした研究,そして研究対象とする人々を越えて発展を見せつつある研究アプローチである相互行為(インタラクション)研究の3つの分野における最近の研究史について,簡単に紹介することにする。また,狩猟採集民や焼畑農耕民を対象とした研究以外の,都市住民,漁労民,牧畜民を対象とした研究もまた,最近活発に展開されつつある。

2-1. 熱帯林地域における研究

  • 2-1-1. 狩猟採集民研究

 京都大学を中心とするアフリカの生態人類学的研究では,ピグミー系狩猟採集民がひとつの中心的対象となってきた。コンゴ盆地北東部のムブティやエフェ,北西部のアカなどは1980年代までに調査されてきたが,カメルーン東南部に居住するバカ・ピグミーの研究は,それらに比べ相対的に遅れていた。また,1980年までに欧米の研究者によっておこなわれたバカの先行研究は,言語,文化,儀礼実践などに関する断片的な研究があるのみで,実際の狩猟採集生活と熱帯林環境の関わりといった側面はほとんど扱われていなかった。そういったことを背景として,1990年代以降の京都大学を中心とした狩猟採集民研究は,バカ・ピグミーの生態学的研究を1つの核に,エスノサイエンス,狩猟採集活動の持続性,狩猟採集民と農耕民の民族間関係,生業活動の政治生態学的側面の解明といったテーマへと展開していった。

 1980年代終盤から,アフリカ熱帯林の狩猟採集民について,「農作物に依存しない純粋な狩猟採集生活は不可能なのではないか」という問い(「ワイルドヤム・クエスチョン」)が提起され,現在に至るまで論争に決着はついていない。安岡宏和(法政大学)は,バカ・ピグミーの長期狩猟採集行「モロンゴ」への参与観察を数度にわたって敢行し,2か月半以上にもわたる狩猟採集のみに依存した生活の実態解明を行った。佐藤弘明(浜松医科大学)らは,同じ問題に挑み,バカ・ピグミーは年間のどの時期であっても,小規模な集団であれば,農作物の持ち込みなしの狩猟採集生活により健康に生活できることを人類生態学的な手法を用いて厳密に実証した。以上の成果は,論争が続く「ワイルドヤム・クエスチョン」への大きな貢献となっている。北海道大学の山内太郎と萩野泉は,バカ・ピグミーの成長と栄養を対象にした人類生態学的研究を進めている。バカの子供の身体計測を行った萩野は,思春期における急激な成長(「思春期スパート」)が小さいという特徴的なパターンを発見した。また川村協平(山梨大学)は,熱帯林環境でのキャンプ生活と狩猟採集民の健康の関係を明らかにすべく,バカの狩猟採集キャンプでの血圧調査を行っている。

 服部志帆(天理大学)は,約600種にもおよぶ熱帯林の植物に関するバカ・ピグミーの知識について詳細なリストを作成し,集団内における植物に関する民族知識の分布を定量的に把握した。狩猟採集社会における民族知識の生成・消滅や伝達の動態を具体的に明らかにする途を開いた業績である。彭宇潔は,入れ墨などの身体加工や身体装飾など人々の身体に関するエスノサイエンスの動態を広域調査によって地理的に把握するとともに,生存に直接関係しない知識や技術が,バカ・ピグミーの異世代間でどのように伝達されるのか,そのあり方を研究している。

 狩猟採集社会の変容や,より広い社会との関わりに関する研究も行われている。林耕次(神戸学院大学)は,バカ・ピグミーの狩猟キャンプへの参与観察から,現在の彼らの狩猟活動が跳ね罠猟や銃猟を主体としたものになっていることについて,農耕化や定住化との関係から考察している。カメルーンの南隣のガボン共和国でバボンゴ・ピグミーの社会関係や近隣農耕民との民族間関係を調査している松浦直毅(静岡県立大学)は,バカよりもさらに定住化・農耕化しているバボンゴとの比較の観点から,カメルーンのバカ・ピグミー社会における訪問活動を調べた。狩猟採集民の農耕化の問題を巡って,北西功一(山口大学)は,現在彼らが小規模な焼畑により生産しているプランテン・バナナ栽培の実態を具体的に解明し,その受容の理由をバナナという栽培植物の生態的特性との関連から考察した。大石高典は,バカ・ピグミーが自家消費用の作物だけではなく,換金作物であるカカオ栽培を開始している実態を明らかにし,グローバルおよびリージョナル経済と狩猟採集民を含むローカルな政治経済システムとの相互関係の一端を解明しつつある。

  • 2-1-2. 焼畑農耕民研究

 日本人のカメルーンでの農耕の研究は,前述の「大サバンナ学術調査隊」のメンバーであった端信行による,北部サバンナ叢林地帯のドゥルの農村調査から始まる。サバンナ地帯の研究から20年程過ぎた1993年に,ようやく熱帯雨林におけるバントゥー系民族による焼畑の研究が開始された。小松かおり(静岡大学),塙狼星は,複数の民族が移住している村で,プランテン・バナナの栽培や,野生植物が残された焼畑システムの調査を開始する。小松は,農耕民の食文化に関して研究を進め,熱帯アフリカの全体の食糧事情へ視野を広げていった。続いて、2000年より四方篝がバンガンドゥの焼畑調査を開始した。四方は、バンガンドゥが主食であるプランテン・バナナの畑を複数所有しており,年間を通じて安定した収穫を行っていることを示した。また、歴史生態学的視点から焼畑放棄林におけるプランテン収穫など,焼畑農耕と森林再生の循環過程における人間生活の関与の一端を明らかにした。

 熱帯雨林に暮らす農耕民の中には極めて多様な民族的出自や生業複合を行う人々が含まれている。大石高典は、河川沿いの農漁複合の実態について、ジャー川下流域に居住するバクウェレを対象とした研究を進めている。山口亮太は、同じくバクウェレを対象に呪術や病気への認識などの調査を進め,伝統的な知識と科学的・合理的な思考の二分法について文化人類学的な視点から考察を行っている。

 坂梨健太は2005年より,南部州のジャー保護区付近で,主にカカオ生産について研究をおこなった。人口密度が希薄な地において,カカオ収穫をおこなう上で貴重な労働力を確保するために,狩猟採集によって得られるヤシ酒や獣肉が報酬として用いられていることが明らかにされた。最近,国家や国際機関の働きによって森林保全が展開しているが,人びとの狩猟採集活動が制限される一方で,それらの活動が必要不可欠なカカオ生産は促進されているという矛盾した構図が明らかとなった。

 これらの一連の研究から,カメルーン東南部、南部の森林地域では,現地住民が森林を無秩序に破壊してきたわけではなく,むしろ森林再生に一定の寄与をしながら農耕をおこなってきたことが明らかにされた。今後は焼畑農耕と森林環境の関わりだけでなく,狩猟採集・漁労活動や換金作物生産,さらに他地域の住民による森林地域への移入,森林地帯に暮らす住民の都市への移出といった人の動きやそれに伴う技術・情報などの流れを考慮に入れた研究を展開してゆく必要がある。農耕がどのように森林保全や野生動物保護と両立可能であるのか,どのような食糧・現金獲得手段が将来的にありうるのか,現地の人びと共に考えていくことも大きな課題の一つとなるだろう。 

  • 2-1-3. 相互行為(インタラクション)研究

 1980年代,生業体系など物質的な側面に関わるデータの収集に依拠した狭義の生態人類学的調査に加えて,歌や踊りのパフォーマンスや日常会話で生起する人々のやりとりそのものに焦点を当てる,相互行為研究が少しずつ登場しはじめた。

 コンゴ盆地を対象とする調査のなかで,相互行為を対象にまず調査を始めたのは,コンゴ民主共和国の狩猟採集民エフェの歌や踊りに注目した澤田昌人(京都精華大学)である。彼はこのアプローチから,エフェの死生観に迫ろうとした。木村大治は人々の日常的な相互行為の研究に着手した。生態人類学的研究で培われた定量分析の手法を取り入れながら,コンゴ民主共和国の農耕民ボンガンドやカメルーンのバカの音声的なやりとりに焦点を当てた。ここから彼は、近代・西洋文化圏とは異なる仕方で共在感覚を生み出す人々の日常的な取り組みを論じている。

 都留泰作(京都精華大学)と分藤大翼(信州大学)が共に注目したのは,バカの歌と踊りの集まり「ベ」であった。彼らが関心をもつのは,文化的に言明される規範を伴わない,無秩序に生成されるかに見える「集まり」という現象である。

 このようにカメルーンでの相互行為研究は,その多くが狩猟採集民バカを対象にしてきた。その理由として,狩猟採集社会では伝統的な人類学が扱ってきた社会構造(親族構造・居住制・社会階層・物流・儀礼のプロセスなど)が記述しにくいことが指摘できる。相互行為研究においては,社会の秩序の多くは,その場のやりとりにおいて生成されるとみる。バカを対象とした相互行為研究が進展したのは,このような事情によっているものと思われる。 これらの相互行為研究の成果は,木村が代表を務める「インタラクション研究会」のグループが出版した『インタラクションの境界と接続―サル・人・会話研究から』にまとめられている。

 相互行為への関心は,現在も引き継がれている。最近では,園田浩司による大人と子どもの共同作業場の相互行為分析に取り組んでいる。ここから彼は,積極的でないと形容されてきた教育と,狩猟採集生活との関係を問おうとしている。微細な日常的な相互行為という観点から,バカの教育と自然環境の関係を明らかにしようとしているのである。

2-2. サバンナ地域における研究

 2003年以降,京都大学のメンバーもサバンナ地帯で研究をおこなっている。稲井啓之は,当初,カメルーン東南部において地元漁民と北部出身の出稼ぎ漁民の共存についての生態人類学的な調査をおこなったが,現在は,極北州東部とチャド中西部を流れるロゴーヌ川周辺に調査地を移し,出稼ぎ漁のメカニズムや社会変容の解明に取り組んでいる。この調査は,近年注目されている水産資源の流通に関する研究にも貢献しうるだろう。

 安田章人は,北部州ベヌエ国立公園付近でおこなわれる,欧米人の娯楽を目的としたスポーツハンティングを研究の対象にしている。安田は環境社会学的な視角から,地域住民の生活の持続可能性について議論をおこなっている。野生動物の保全やそれを資源とした観光を考える上で,重要な知見を提供してくれる研究である。

 早坂麗子は,フルベの一派で,イスラーム化せず遊牧生活を続けるボロロの調査をおこなった。彼らは今日,自らその名前を用いて,組織を結成し,地位向上のための運動を展開している。そのような中で早坂は,ボロロの生業実践を通して,エスニック・アイデンティティの形成や変化を考察した。このようなマイノリティの権利問題は,熱帯地帯に暮らす狩猟採集民でも同様に問題となってきている。

2-3. 都市における研究

 平野(野元)美佐は1993年から,ヤウンデ都市移住民のなかでも「商業民」として有名なバミレケの人びとの相互扶助,経済活動などを研究してきた。村落から都市への移住民である彼らは,同郷者で集まって作るアソシエーションを通じて助け合い,トンチンと呼ばれる頼母子講などを通じて生活の向上を図っている。平野は,バミレケの同郷会の活動を通じてカメルーンにおける都市と村落の関係を生き生きと描き出している。

 亀井伸孝は,首都ヤウンデをはじめとした都市部でろう者と手話に関する人類学的研究を進めている。ろう者たちからの聞き取りを中心に,ろう者団体,ろう学校,ろう者の諸活動,手話言語の歴史と現状について調査を進め,そこから「ろう者の文化理解に基づいた開発」の新しい理論モデルを模索している。

 戸田美佳子は,首都ヤウンデに暮らす身体障害者の日常生活に関する詳細な調査を行い,その実態を解明しようとしている。大都市の近郊で農業を行って自給をしつつ,「物乞い」により現金収入を得ながら子育てをするなど,そこには「ケアされる対象」としての障害者像では決して捉え切れない,たくましくしたたかな障害者たちの都市棲み戦略がある。

 矢野原佑史は,首都ヤウンデや海岸部の大都市であるドゥアラをフィールドに,若者たちがいかにヒップホップ文化を実践しているかを徹底した参与観察に基づいて追及している。若者たちと生活を共にしつつ,矢野原自身も作曲活動に参加し,作品の発表を行うなど,学術研究の枠にとらわれないユニークな調査活動を実践している。

最近の研究活動

1998-99年の調査時、ドンゴへ向かう際にジャー川を船で遡上する市川。(写真上/撮影:林)