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「はざま」で考える

カメルーン東南部におけるエリエーブの言説をめぐって

2011 年12 月,約1 年半ぶりにカメルーン共和国の調査村に入った.コンゴ共和国との国境沿いに住むバクエレ(Bakwele)と呼ばれる民族の調査を再開するためである.私が不在の間に小規模な森林伐採活動が始まり,また私の居候先でありメインのインフォーマントでもあるK 夫婦が離婚するなど,今回の調査はさまざまな変化に戸惑うことが多かった.

G という人物が激やせしていたのもそんな変化のひとつだった.G は30 歳代半ばの男性で,カントン(Canton)という行政区分の長(長は「シェフ・ド・カントン」だが単に「カントン」と呼ばれる)の孫にあたる.初めての調査の時に,彼と一緒に酒を飲みながら,日本の森にはキツネがいてたまに人を化かしたりするなどということを説明したことを覚えている.酒好きだが,飲んでも暴れたり大声になったりしない,物静かな男だった.祖父である現カントンは彼を常に側に置き,彼を後継者だとみる村人も多かった.G の姿を見て,明らかに病気であるということは分かった.しかし,半年近くも身体の怠さや腹痛といった不調が続いているにもかかわらず,まだ病院には行っていないというのである.早く病院に行け,と言っているうちに,2012 年の元日の夜,彼は亡くなってしまった.最期は国境を渡って,コンゴの呪医の所にいたらしい.私は町に出て調査をしていたため,彼の埋葬にも立ち会うことができなかった.埋葬のあと,村では盛大に葬儀が行なわれた.なんといっても,彼はカントンのお気に入りの孫だったのだ.遠方からやって来た親族や友人たちをもてなすために,ガソリンを買って発電機を回し,大音量でリンガラミュージックを流す.客たちは酒を飲み,歌い踊る.どこかしまりきらない底の抜けたような感じがする.しかし,隣で大笑いして話をしていた女性が,次の瞬間にはカントンの屋敷のサロンに入っていき大泣きを始めたりするのだ.

図1 カントンの長の一族

そのうち,ある噂が聞かれるようになった.G の死は,カントンの長男で彼の母方オジにあたるT(図1 参照)とその息子が引き起こした,というものであった.カントンがとても可愛がっていたG を葬り去ることによって,カントンの後継者としての立場を確実にしようとしたというのだ.さらに,Tは過去にも同じ目的で実の弟を亡き者にしたという.彼らはエリエーブ持ち(mot elieeb)として有名であり,そのエリエーブ(elieeb)でG を殺したということであった.

エリエーブとは,バクエレの人々の間で人間の腹部に存在するといわれる「もの」である.それは持ち主に特定の行動を取るように命令し,持ち主はその命令に逆らうことができない.エリエーブにはさまざまな種類があるが,T 父子が持っているとされるのが「人を食べるエリエーブ」であった.その持ち主たちはある種の集会を行なうと考えられている.メンバーは,自分の順番が回ってきたら自分の親族などを殺し,集会で共食する.そうしないと自分自身が他のメンバーに食べられてしまう.T とその息子は,G を集会のメンバーに捧げて食べたのだと疑われていた.G の妹によれば,G の埋葬前夜にカントンの屋敷のサロンで眠っていたT が突然,「お前たちはたらふく食べただろう.これは俺の妹の息子だ.満足しただろう?」と寝言を言ったらしい.ますます怪しい.これをうけて,G の妹は呪医に犯人を確認してもらうと述べた.一方で,G の親族以外は「家族がG を病院に連れて行かずに放置したから死んでしまったんだ」とささやきあっていた.つまり,G の死にはエリエーブは介在せず,単に病気で死んだという見方である.

私はインフォーマントのK に,ふたりになったときに「G を殺したのはT しかいないじゃないか?何でわざわざ金を払って呪医に確認するんだ?」と聞いた.かまをかけて,K の反応が見てみたかったのだ.断定口調の私に,K は諭すかのように「呪医に確認するまでは我々には確かなことはわからないんだ」と説明した.

後日,エリエーブ持ちと疑われているTとばったり出くわすことがあった.昼間だったが,T はすでに酔っぱらっていた.T は私に向かって,最近のゾウの密猟の規制や,昔のゾウ狩りの様子についてとりとめなく話を始めた.ところが,それが耳に入ってこないのである.私は何だかよくわからない感情に囚われ始めている自分に戸惑っていた.終いには,「お前は調査者なんだからもっとしっかりと話を聞いて質問しないと」などとT自身に説教される始末だった.

今にして思えば,あの時の感情は嫌悪感に近いものであった.それは,私が以前からTについての良くない噂を聞かされていたからかもしれない.私の下宿先の奥さんL は,Tの長女なのだが,この父娘は不仲であった.「T は一度だって捕った魚を私たち子どもに分けてくれたことがない.もっとも,仮に分けてくれるとしても私は食べないけど」などと,T への敵意をむき出しにすることがあった.また,不妊で悩む彼女に,呪医が「T がエリエーブの力で邪魔をしている」と教えたらしい.彼女は呪医に頼んでT を殺してもらうことさえ考えたという.

私とT の間には何の怨恨もないし,まして私はエリエーブの存在を信じてさえいないはずだった.T を嫌悪する理由はどこにも無い.L のT に対する感情が,部分的にではあるが私に伝染したということだろうか.G の死は,身体の不調を長期間放置し,病院にも行かなかったことが原因と私は考えていた.しかし,T がカントンの後継者としての地位を確実にするためにG を殺したという説明がいかにもありそうだというのも実感としてあった.しかし,そうすると私自身がエリエーブの存在にコミットすることになる.私の中でこの2 つの思考が齟齬をきたしている.

これは,私の中にある科学的・合理的思考とそうではない思考の間に生じた齟齬であると言い換えることができるだろう.私にとって,この2 つの思考はそれぞれの場面では同様に説得的である.ところが,それを同時にみつめるような機会にはまるでそのはざまに立たされたかのような当惑を抱かせる.それは,フィールドにおける私の半端な立場と相似しているかのようだ.私は何とかしてバクエレのものの見方や考え方を知ろうとするが,到底十分ではない.しかし同時に,バクエレ流の思考に影響されることによって,平均的な日本人からは逸脱してきているという実感もある.フィールドから日本に帰って来ると,いつも頭が切り替わらずに悩まされる.フィールドにおける私はバクエレの人々と日本人のはざまに立たされた,中途半端な存在なのである.

ところで,思考内における齟齬については,バクエレの人々にとってもそうなのかもしれない.たとえば,インフォーマントのKはG の死について,家族がG の病気を放置したためという説を取った.つまり,G の死にエリエーブは関係しないという立場である.ところがG の遺族たちから話を聞くにつれ,徐々にT がエリエーブでG を殺したという説に傾き,その後の私や他の人物との会話ではその時々で両方の説の間を揺れ動いていた.この時,K は科学的・合理的思考とエリエーブ的な思考のはざまに立たされ,その両者の齟齬に直面していたのかもしれない.彼にとっても,T がG をエリエーブで殺したというのは説得力があったものの,自明ではなかったのだろう.これは,エリエーブ持ちのみが他人のエリエーブの活動を知ることができる,というバクエレの考え方からくるのだと思われる.つまり,エリエーブ持ちではないK にとって,G がエリエーブで殺されたという確証を得るには,エリエーブ持ちである呪医の見解を待つより他ない.同様に,彼は医者ではないのでG が単純な病で亡くなったのか確信をもって判定することができない.私の断定的な物言いに対して彼が留保の姿勢をみせたのは,こういった背景があったためではないだろうか.

ところが,こういったはざまを彼らは易々と乗り越えているようにみえるときもある.たとえば,病院で手術をしても失敗することがあるのは,エリエーブ持ちではない医者が手術を担当したためといわれることがある.エリエーブ持ちでない医者は,患者の体内にあるエリエーブに気がつかず,手術中にメスで斬りつけ消毒してしまう.すると,患者は死んでしまう.反対に,エリエーブ持ちの医者は,患者の体内にエリエーブが存在すれば,それを避けて手術をすすめることができる.また,医者がエリエーブを持っていれば,患者の症状が,単なる病気によるのか,それともエリエーブが関係しているのかが,呪医のように分かるとインフォーマントのKは言う.もしエリエーブが関係していればそれは呪医のところで治療しなさいとすすめることもあるということだった.

このように,病院の医者という科学的・合理的思考の担い手ともいいうる人々の振る舞いを,彼らは実にエリエーブ的な思考で眺めている可能性があるのだ.この時の彼らは,2 つの思考のはざまで板挟みになっているようにはみえない.実はこれらの思考の間には,広大な重なり合う領域が存在しているのかもしれない.これは,エリエーブの獲得のされ方を説明する際に,「細菌のように感染する」という言い回しが好んで使用されることにも現れている.この場合,疫学的な比喩によってエリエーブが語られているのだ.だとすれば,重なり合っているというよりは,むしろ2 つの思考は互いを翻訳しあうことによって新しい領域を形成しているようにもみえる.

このような領域を考える際に,科学的・合理的思考とエリエーブ的な思考という二分法自体を疑う必要がある.私が「はざま」だと思っていた場所は,実は広大な平原の中の小さな窪みでしかないかもしれないのだから.

  • 本エッセイは、京都大学アジアアフリカ地域研究科発行の『アジア・アフリカ地域研究』第12-1号(2012年)に初出掲載されたものである。