{{img mongulu3.jpg,height="250"}} {{span style='font-size:10pt;', 森の住居から顔を出す子供たち。}} “ザァ、ザァーツ・・・・”。雨だろうか。しかし、雨独特の湿った匂いがしない。もしかしたら・・・・。私は飛び起きると、手元のヘッドライトを点け、土壁とラフィアヤシで出来た家をさっと照らした。確認する必要はなかった。何かが私の首をすさまじい速さでのぼっていく。その生き物は私の髪のなかに入り込み、小さい牙を立てる。痛い。間違いない。サファリアリだ。ライトに照らされえた空間には、獲物を探し徘徊するおびただしい数のサファリアリの群れが一面に広がっている。私のいるベッドと蚊帳にもすでに何匹か紛れ込み、黒い頭をもたげている。四方八方をサファリアリに囲まれ、私は言葉を失った。 この恐るべき肉食性のアリは、獲物を求めて集団で森を移動する。とても凶暴なアリで、紐につながれたヤギやヒツジ、挙句の果ては人間の赤ちゃんまで食いつく。あっという間に獲物をたいらげ、骨だけを残して去っていく。人間の大人の場合、逃げるための足があるため、食べられるということはない。しかし、一度食らいついたらなかなか離れない強靭なアゴ、あっという間に足もとから頭上に這い上がるそのスピード、そして獲物に次々と群がっては黒々とした無動のかたまりに変えてしまう圧倒的な数のために、森に暮らす人々にも恐れられている。また、通路を変えないために、ひとたび家が通路になってしまうと、群れが通り過ぎるまで待たなくてはならない。時にサファリアリの河は、一週間も家に流れ続けることがあるそうだ。 {{img bele.jpg,height="300"}} {{span style='font-size:10pt;', 生まれたばかりのヤギ。}} 一刻も早く逃げなくてはいけない。こうしている間にも、アリたちは蚊帳の隙間からベッドの上にどんどん落ちてくる。しかし、家中どこを見渡してもサファリアリで足の踏み場もない。そのうえ、サファリアリは私のトレッキングシューズ、長靴、サンダルまでぎっしりと入り込み、頭からぴんと突き出た二本の触角を左右に揺らしては、我々の獲物はどこかと問う。意を決した私は、サンダルにへばりついているアリを払いのけ、ベッドの上でサンダルをはいた。そして、獰猛な生き物のうごめく闇に向かって飛び込んだ。アリの絨毯を大股で跳ねるように駆け、木の扉を体当たりで開けるとなんとか外へ出た。痛い・・・。再び体中に痛みが走る。チクチク、時にはズキンとする箇所に手をやる。靴下やズボン、髪のなかにまで入り込んだアリを念入りに取り除くと、私は森から絶え間なく流れる黒々としたサファリアリの河を見た。 なんと幅が4メートルにもなりそうなサファリアリの黒い帯が、見事に私の家を貫通している。何千、何万どころではないアリから成る黒いうねりは、私の家のすぐ裏の藪をつたい、私の家などものともせず、さらにバナナやイモの植えられた畑の方へゆるやかに蛇行しながらのびている。森から森へ。長さなどまったく想像もつかない。流れにじっと目をやると、大小さまざまなサファリアリがいる。1センチ程度の小型のものから2センチにもなる大型のものまで、または熱帯土そっくりの赤茶色のものから黒々とつややかに光るものまで、すべてが一心に前進する。流れの外縁部は頭を突き出し戦闘姿勢にある戦士たちのアーチによってがっちりと守られ、内側はただひたすら先を急ぐかたまりでごったがえしている。気づかれないように流れに近づきそっと耳を澄ますと、地を這うようなサファリアリの息遣いが聞こえてくる。 すさまじい光景に目を奪われていると、騒ぎを聞きつけた村人たちが様子を見に来てくれた。彼らは「ウォー」という後部にアクセントを持つ独特の簡単声をあげた後、しばらく黒い河に見入っていたが、果敢にも応戦し始めた。家々より赤々と燃え盛ったたいまつを持ち寄ると、外気にそれをさらしては炎を静める。炎の弱まったたいまつをかかげ、次々とアリの河にのぞむ。彼らはアリが私の家から少しでも進路をそらすように、たいまつを砕いては火の粉を私の家の周辺に撒き散らした。素足でのぞむアリの絨毯は、鍛え上げた森の民の足といえども容赦なく攻撃し、森の民は時折悲痛な悲鳴を上げている。しかし、彼らも負けてはいない。這い上がってくるアリをバサァバサァと払いのけ、地上にまんべんなく火の粉をまく。持ってきたたいまつがすべて火の粉にかわると、再び焚火に足を運び、根気よくたいまつを取り出す。サファリアリと森の民の壮絶な攻防戦は、たいまつの明かりを借りて、森の闇にしばらくの間映し出され続けた。だが、アリは次々と森の闇から姿を現し、とてもではないが追いつかない。 {{img kobo.jpg,height="350"}} {{span style='font-size:10pt;', 狩猟の達人。}} どのくらい時間が経ったのだろう。森の民たちは応戦をやめると、表情豊かな丸い顔に神妙な色を浮かべて、えんえんと流れ続けるアリの河を眺めていた。どうしようもないことを悟ったのか、「私は行くよ」と沈んだ声で告げると、それぞれの家に散っていった。お礼の言葉も言わずに立ちすくんでいる私に、もうずいぶん歳をとっているモボリが話しかけてくれた。「大きな群れだ。しばらく待とう」。彼女がゆっくりとした歩みで家に帰るのを見届けると、私はため息交じりで近くにあった切り株の椅子に腰を下ろした。しばらくってどのくらいなのだろう。私はアリの大群と土の上に広げられたオレンジ色の火の粉に目をやった。空にはあいかわらず満点の星が輝き、地上には森の民がまいた火の星がにぶい光を放ってちらばっている。眠りを妨げられた体はくたくただったが、高ぶった神経は冴え冴えしていた。 痛い。もう何度目かわからない痛みが私を襲った。つま先を見ると、サンダルの隙間をぬぐって一匹のサファリアリが親指にかみついている。手で払おうとしたが、なかなか離れてくれない。力づくで引き剥がしたものの、痛みはおさまらない。痛みに向かってヘッドライトを近づけてみると、白い靴下からは血がにじんでいる。さらによく見ると、赤く染まった靴下の先には、離れたと思っていたはずのサファリアリの頭がぶらさがっていた。頭だけでしがみついている。頭はしばらく左右に揺れていたが、やがて動かなくなった。何という生命力だろうか。私はその頭を手のひらにのせた。 森は静かだった。村を囲むようにそびえる巨木たちは凛としてその姿を月にさらし、空は雲ひとつなく澄み渡っている。今夜はいつも森に切なげな声を響かせるハイラックス(イワダヌキ)も魔の使いと恐れられるフクロウの歌声も聞こえない。わずかに聞こえるのは、森の民が時折もらす「ゴホッ、ゴホッ」という咳の音だけ。寄り添いあうように並んだ小さなドーム型の家の隙間からは、チョロチョロと焚火の光がもれている。私は地上に転がる星が光を失い、ついには夜空の星も残らず消えてしまうまで、切り株の椅子に座っていた。夜露が冷たかった。 {{img dindo2.jpg,height="350"}} {{span style='font-size:10pt;', お化粧してもらった少女。}}