大山 修一 教授

教員インタビュー

大山 修一 のプロフィール>>

*インタビュアー:K

K:今日はよろしくお願いします。

大山:お茶を入れますね。

K:ありがとうございます。おいしいですね。ではまず、大山さんの研究内容を教えてください。

大山:どうも。わたしの研究は、大きく言うと農村調査ですが、アフリカを総合的に理解するということをめざしています。集中的な現地調査をしてきた地域としては、南部アフリカのザンビアと西アフリカに位置するニジェールになります。

そのなかでも、農村での人びとの環境認識、自然資源の利用、環境開発に興味がありますが、植物や土壌、地形、気候などの自然をみたり、住民の視点にたって生活や生業活動、社会組織などにも焦点をあてています。農村に限らず、ひろくアフリカを総合的に理解したいと思っています。

いま、気になっていることは、たくさんあるけれど、とくに挙げるなら、土地制度や経済格差などの問題などに興味があります。2000年以降、変化が急なので、それをどう追跡し記述していくのか、わたしの課題ですね。植民地以来の二重性の問題をどう解決していくのかが、今後のアフリカの多くの地域の安定性には、重要になってくると思っています。

K:二重性ってなんですか。

写真1.ベンバの結婚式(ザンビア)

大山:アフリカの多くの国々では、いろんな制度や法律とかに二重性があります。経済にも、二重性があるといわれています。ザンビアだったら、例えば、国家が制定している法律と、あと、民族テリトリーの中にある『慣習法』とか、チーフが仕切っている地方の司法という、二重性です。

国家の法律に基づいているフォーマルな制度と、チーフがとりしきっているようなインフォーマルな制度が存在していますが、IMFや世界銀行、アメリカなどの支援を受けながら、国家の法律が整備されてくると、やっぱり地方でも、国家の法律にもとづいて、現金で土地を売買したりということが起きてくるし、二重性がどういうふうに接合していくのか興味を持っています。

近代化にしたがって、経済的に豊かになる人もアフリカには多数いるし、一方で取り残されていく人もいる。僕が大事にしてきたのは、そういう流れから取り残されるような自給を基本とした生活をおくっていた人びとなんです。でも、同時に、人々は、その急激な流れから、自分たちの生活をまもってきたということもできるのです。

自給生活というのは、僕は豊かだというふうにずっと思って調査してきました。チテメネという焼畑で、シコクビエを食べて、ふるまい酒をみなで飲んで、ダンスを踊って(写真1)。

でも今、アフリカには1日1ドル未満の人口が50%近くいると報告されて、そういう1日1ドル未満の生活っていうと、僕らにはすごく貧しいっていうふうにみえるかもしれない。けど、基本的に自給生活ってお金のいらない生活だから、そういう1日1ドル未満の状態でも、豊かに暮らせる生活があった。いまも、存在する。それを僕らはみてきて、大事にしてきたわけなんだけどね。やっぱり時代の流れもあって、その生活が貧しいっていうふうに見られるようになってきた。これからは、僕らが大切にしてきた豊かな生活をしてきた人たちと、どういう風に時代の流れに対していくのかっていうことを、考えていきたいですね。

K:最近は、ニジェールでゴミの再利用こととか、実践のこともされているのですね。

大山:はい。ニジェールでは、1970年代から砂漠化が深刻な問題なんですね。そういう砂漠化の問題に対しては、いろいろ国際的な取り組みもあるし、巨額なお金をかけてきたけれど、植林ばっかりして、そんな解決しているようにも思えない。お金をかけずに在来の知識とか、ひとびとが実際に営んでいるようなことを応用して、「都市のゴミをまいて荒廃地の緑化をする」ということを、科学的に評価しています。いまは、実際に、村びとともにゴミを収集しながら、荒廃地にゴミをまいて、荒廃地の緑化につとめています。有効性と安全性を実証しながら、ね。

荒廃地の緑化によって、食料生産の向上、共同放牧地の再生、農耕民と牧畜民の紛争予防・紛争解決につなげようと思っています。その社会の”つぼ”をおさえることは、研究としても、あるいは、実際に社会貢献をしようとするときにも、大事で、それほど両者にはちがいがないようにも思っています。

これまでメカニズム研究とか観察とかを得意にしてきて、ある程度、生活に寄り添いながら調査していくと、わたしの調査・研究には限界があり、アフリカが大きく変動していくなかで、壁にぶちあたっていると思うときもありますね。

社会情勢の変化とか、研究者以外からの目とかを感じることも多くあります。日本で講義をしたり、公開講座で話をしたりするとかっていう経験を積み上げていくと、日本でのアフリカに対するまなざしっていうのも、なんか変化している気もしています。

アフリカの現地社会にどっぷりつかって調査をしながら、もう一方で日本とか先進国からの視点、あるいは、アフリカの都市部からみた農村へのまなざしとかを見たり聞いたりしていると、調査・研究だけやっていても、限界があるなと思うときがあります。

自給社会が良いと思っていながらも、その社会になにか問題があると思ったときには、立ち上がって、住民と一緒に考えてみたりとか、社会問題の解決に貢献してみたりとか、研究成果の還元っていったら、ちょっとえらそうですけど、なんかそんな試みも大事かなーって思っています。それも、20年ちかい経験があるからこそ、思い立ったことです。

最後に、強調したいのは、実際にそこに住んでいる人たちが苦労してたりとか、困っているような問題に対して、一緒に取り組みたいというスタンスを大事にしています。

K:そもそも、なぜアフリカ研究をはじめられたのですか?

写真2.ザンビア北部のミオンボ林

大山:アフリカ研究に飛び込んだのは、まず僕自身が環境問題に興味があったからかな。環境問題っていうのは砂漠化とか熱帯雨林の減少とか、いま、ASAFASをめざして入ってくる人と同じように、なにかアフリカに関する問題に対して立ち向かいたいっていう気持ちは持っていました。

とくに、西アフリカ、サハラ砂漠の南縁のサヘル地域の砂漠化問題。ちょうど僕が小学生のときに、サヘルの干ばつが起きた。1983、4年のことだったかな。連日テレビで報道されてたし、エチオピアの干ばつとか、そういう光景をテレビで目の当たりにして、そういう問題にとりくみたいっていう気持ちを持ちました。

大学時代からアフリカとどういうふうに接点が持てるかって考えて、NGOに参加して封筒張りをしたりとかもしていたけれど、当時、アフリカに行く機会って、そんなにあるものではなかったし、研究の世界というのもあるんやなというので、ここの門をたたきました。

西アフリカは、当時、それほど、京都大学の研究者はそんなに多くなかった。とくに調査許可の問題とかあったし、フランス語圏だし、なかなか、行けるものでもなかった。そんな中、掛谷さん(現・ASAFAS名誉教授)の誘いもあって、ザンビアに行くことにしました。最初は、森林の減少とかに興味があったから、村ではミオンボ林の植生調査をしました(写真2)。京都ではリモートセンシング-衛星画像の解析とかを学びました。

ベンバの村で、最初は言葉も分からなかったし、チテメネという焼畑がどういう風に森林にインパクトをおよぼしているのかっていうのを調べたんです。それで、修士課程を修了しました。

博士課程では、最初1年半の予定でザンビアへ旅立ったけど、途中でクーデターがあって、そのときは一年たらずで帰ってきました。でも1年間、滞在していると、ベンバ語も少しずつ分かるようになってきて、調査を手伝ってくれている友人の生活が、ころころと変わるっていうのを知りました。それで、どんな生活をしてるのかなっていうことに、興味を持ち始めたんですよね。

ころころ変わるっていうのは、当時ちょうど構造調整政策で化学肥料が供給されたりされなかったりっていうのが繰り返されていました。化学肥料が供給されなくなると、村びとはみんなチテメネを大きくして、化学肥料が大量に供給されるようになると、食糧が大量に余った。その翌年はチテメネを小さくしたんだけれど、そんな年にかぎって、化学肥料がこなくなってしまう。その翌年には、村は食糧不足に直面する。すごい食糧が余った年と食糧が欠乏する年っていうのが交互にくる。なんで、こんなにも生活が不安定になるのか、疑問がでて、人類学的な調査もはじめました。

ニジェールの調査は、東京都立大学(現・首都大学東京)に1999年に就職し、そのときからです。都立大の地理学教室は、西アフリカ研究のメッカでもあったし、もともと西アフリカやサヘルで調査したいという気持ちもあったし、ちょうどそのときに都立大のプロジェクトがあって2000年からニジェールに行きはじめたんです。

K:じゃあ、大学に入った時点でアフリカのことは結構考えていたのですね。

大山:はい、考えてましたよ。大学2年とか3年のときには結構…ね。

K:私、海外ではたらくとか想像もしませんでした。自分のとき。別の人たちの話だと思ってました。

大山:そうですねぇ。それはまあ、いろんなライフ・コースがあるからね。実は、修士のあと博士課程に行くかどうかはすごく悩んでね。ASAFASは5年一貫だけど、博士課程に上がるというのは、年齢的にも、社会のまなざしからも、ちょっと勇気がいりますよね(笑)。
都立大に就職して、ニジェールにも行くようになったし、人生、どうなるのか分からないものですねぇ(しみじみ…笑)。

K:そうか、そのあと先生、南米にも行き始めて…。

写真3.アンデス山脈のビクーニャ(ペルー)

えぇ、急に先生って、やめてーよ(笑)。2000年に、ニジェールとペルーと、それぞれ初めて行きました。フランス語も、スペイン語もまったくできなかったけれど、そのあとハウサ語も、スペイン語も独学で学び、調査ができるようにはなりました。

ぼくは、これまで「見よう見まね」で、勉強してきました。いまは、ハウツー本とかも、たくさんあるしね。ペルーでは、ラクダ科の野生動物や家畜の行動観察、ジャガイモのドメスティケーションの研究にも着手しました(写真3、4)。まずは、いろんな専門分野の知識や技能を身につけることができる入門書とかを読みました。恋愛やデートの仕方だけやなくて、便利になったよね(笑)。


写真4.アンデス山脈のジャガイモの祖先種
(ペルー)

もともと、地理学は好きやったけど、専門で学んできたわけやないんですね。そのほかにも、関連する分野でいえば、森林を対象とした生態学、あとは大学院で学んだ人類学と、作物学や土壌学などの農学。就職してからは地理学。地理学は好きやったから独学で勉強しました。京大の院試も地理学で受けたよ。

その4つを組み合わせたっていうところが、ぼくの地域研究ってところかな。大学院生のときには村住みによる参与観察を基本にしていたけど、東京都立大学の地理学教室に職を得てからは、観測するっていう楽しさを学んだね。気象観測とか、地形の測量とか、土壌の分析をしたりとか。都立大では、フィールドワークの観測技術の基本を学んだっていうか、ほんとうは自分が教えなきゃいけなかったんだけどね(笑)。

そういうのを身につけることができたっていうのが、最初に言った『総合的な理解をめざしています』っていうことにつながるのかな。おもしろいって思うことは、なんでも調べたいって思うし、自然のことも、文化・社会のことも。今の社会変容とか、経済開発とか、地方分権とか、医療や感染症の問題とかにも、興味はあります。フィールドワークしてると、人生の機微や人の生き死にを、目の当たりにすること多いしね。考えさせられることが多いですね。

K:前任校(東京都立大・首都大学東京)を経て、ここの教員になられたわけですが、このアフリカ地域研究専攻の特徴ってどんなものがありますか?

大山:やっぱり、最大の特徴は、実際にアフリカへ行くっていうことと、アフリカに興味のある人が集まるっていうことですね。地域研究って、学問としては深化して、第二フレーズにはいったのだと思っています。

地域に着目して調べる学問だけど、もうひとつ、やっぱり社会の動きとかを俯瞰するっていうのかな、そういうのを大きくみるっていうのも必要で、そういうことも求められるだろうと思っています。なかなか難しいのだけれど。

70年代とかやったら、行ったっていうだけで新鮮な知見を持ち帰ることができたっていうところがあっただろうし、今でもそういう部分が残っているけれど、アフリカも身近な存在になったのかな。航空路線が発達して、今ね、ほんと、1日でアフリカへ行くことができるようになったし、テレビとかマスコミで扱われたり、インターネットで論文とかも簡単に検索することができるようになったりとか、情報にもアクセスしやすくなった。統計資料もたくさんあるし、アフリカを語ろうと思えば、いくらでも語れる時代になったよね。アフリカに携わる人の数も増えたし。

K:では、どんな学生さんにASAFASに来て欲しいですか。

大山:やっぱ、1つ目はタフで、骨太な人やね。2つ目は、察しのいいひと。3つ目はなんやろね、人生に前向きな人。なんか、ふえていくなぁ。それになんと言っても、動じない人、トラブルがあっても、楽しみながら乗り切れるような人。あと、コミュニケーション能力かな…。

K:自分自身に問われているようでどきっとしますね。

大山:うん、たしかに、自分で言っておいて、「僕にはあるんか?」といわれると、自分でもきついんだけどね(笑)。

K:やっぱりタフなひとですか。

大山:やっぱりアフリカは身近な存在になったとはいうものの、言葉の面でも、苦労する部分も多いし。トラブルもあるだろうし。言葉が分からないなかでも人間関係を築きながら調査することも必要になるだろうし。まあ、アフリカでのフィールドワークも、孤独な作業やからね。あと論文を読んだり、資料を探したりとか、執筆活動も、タフさが必要かなって思います。

コミュニケーション能力っていったけど、研究活動は、すべて一人でやってるんじゃないからね。人の意見を聞くことも大事だし、周囲のコメントをうまくとりいれながら、自分のすすむ道を修正することができるっていう、コミュニケーション能力と柔軟性も大切だと思っています。自分がコメントをもらうだけじゃなくて、徐々に、自分の意見をコメントできるようになるっていうことも必要になるし。ちょっと、勇気がいることだよね。

察しがいいっていうのは、やっぱりアフリカの社会に入って、農村であれ都市であれ、文化のコアになる部分であるとか、その社会の抱えている問題に対して、調査するっていうときに、自分の興味・関心だけで調査するのではなくて、自分の見ている事象や経験をその文脈に応じて読み取りながら、それをうまく取り入れて、自分のやりたい方向とのすりあわせができるかどうか。結構、大切やと思いますね。でも、まぁ、これ一般論ですから、実際に求める訳ではありませんけど(笑)。

向学心いうのはやっぱり、自分の殻をやぶって、大きくなって欲しいという意味を含めています。アフリカを対象にしていると、僕のように、自然のこと、農業のことがきっかけでも、人間の生活とか、その変化とか、最終的にはいろんなことがそこに絡んできます。農業であれば、雨の降り方、日の照り方、風の吹き方っていう、気候のこととか、どういう土壌なのか、地形なのか。あるいは、牧畜では、草の生え方、家畜の種類、土地の制度がどうなのか。王国や国家の土地制度の問題とか、医療や教育の問題、援助や経済状況とか。人口増加にかかわる地域の生活や文化にかかわる、いろんな要因に配慮していかなきゃいけない。

多方面を横断的に勉強していかないと、アフリカの地域研究には、立ち向かえない。分野を乗り越えていく身軽さと向学心っていうのを、僕自身は忘れたくないし、やっぱりASAFASに入ってくる人にはそういう気持ちを大事にしてほしいなって思っています。水曜日は、大人数でゼミをやっていますが、各人、いろんな地域での発表を聞かせてもらって、今でも、勉強する気でのぞんでいます。

K:学部時代にこんな経験しておくといいよ、というアドバイスはありますか?

大山:学生時代にねぇー、ひとつは海外旅行かな、もうひとつは恋愛かなー(笑)。

K:おお、恋愛!

大山:あ、書かんでいいよ(笑)。ホームページに、載せられる文脈やないかもしれんので。聞きたければ、「ASAFASにおいで!」ということにしておいてください。誰も、聞きたくないかもねぇ。

(K:それは、それで、ちょっと寂しいそうです。)

K:じゃあ、大山さんの恋愛話をききたかったら、ASAFASに来てください(笑)。

大山:その心はね、ちょっと挫折を知ったほうがいい、っていうこと。就職活動もそうやねんけど、一発で決まる人って、まずいないし、自分がどういう風に見られているのかって、客観的に見られるかどうか、恋愛とか、就職活動での面接官とかっていう相手がどういうふうに自分を見てるのかっていうのをやっぱり知らないとね。自分自身以外の目で、自分を見るっていう。僕が言える資格があるかどうかは別として…(笑)。

K:なるほど、いいお話ですね。私はてっきり大山さん、学生時代に大恋愛でもなさったのかと。

大山:いや、いや、いや、やめてよ。そういうわけや、けっしてないよ(笑)。あとね、海外旅行はやっぱり、ほかの文化にふれたりとか、自分で毎日の持ち金の勘定をしながら、残りの旅行日数を考えながら、楽しむところは楽しむ、節約するとことは節約する。それは、毎日、お金を勘定するわけではないけれど、今の現地調査でも、やることだよね。それで、その町の雰囲気をよみとって、治安状況を判断して、そこで知り合いになった人から、いろんな情報を得たりとかね。けっこう、いまに活きているスキルかもしれないね。

K:大山さんのフィールドについてもう少し教えてください。写真をいくつかみせていただけますか。

大山:まず、これはニジェールのハウサ社会の写真(写真5)。ハウサは、すごいアグレッシブな人びとで人生に非常に前向きです。5千万人ほどがハウサ語をしゃべっていると言われます。しかもハウサナイゼーションっていうハウサ化が西アフリカで急速に進んでいます。ハウサも積極的に都市に出ていったり、出稼ぎに行ったりとか、猛烈に経済活動をしてます。小商いがほとんどだけど、いろんな社会―都市を中心に入り込んで商売をしていくっていうそのバイタリティがすごい魅力的です。この写真では、子どもが小商いをしています(写真6)。


写真6.子どもによる小商い(ニジェール)

写真5.にぎやかなハウサの農村(ニジェール)
 
K:これはなにを売っているのですか。

大山:食べもの、野草を煮たのをラッカセイの搾りかすとマギー、塩とかをまぜて売っています。子どもが商売をしていると言ったら、日本では児童労働だと批判されるけれど、ハウサ社会では、子どもの生き方を探す、親の教育という側面もあるんですよ。

K:その一方で救援物資(写真7)もはいっているんですね。

写真7.サヘルの村に入ってくる
アメリカの援助物資(ニジェール)

大山:そうやなぁ、アグレッシブな人たちといっても、人口が年3.9%、20年で2倍になるという強烈なスピードで増えています。土壌が貧しい、雨がふらない、干ばつが頻発してるっていうようなこともあって、食糧不足の問題は大変です。

 
K:フィールドでの楽しみってなにですか?

大山:ニジェールの村で? そうですね、ゴミまきかな(笑)。あんまり美しい趣味やないかもしれんけれど。ゴミから、こういう緑がわーっと出てくるっていう(写真8、9)、その写真なんかはごみを50m四方のところにまいて、インターバルカメラで1時間おきに写真をとって、雨季が来てどういう風にかわるかって見ようと思っています(写真10、11)。


写真9.ゴミから生まれた草地
(ニジェール)

写真8.荒廃地に対する都市
ゴミの投入(ニジェール)
 

写真11.雨季のインターバル
カメラの写真(2012年9月)

写真10.インターバルカメラの写真
(ゴミ投入の直後:2012年2月)
 

ザンビアのほうは、やっぱり、ゆったり流れる時間かな。人もいいし、おおらかだしね。おおらかさが消えつつあるのが時代の流れかなって気も、最近では、するけれど。久しぶりに訪ねて行くと、村々で鶏をしめてもらって、ごちそう食べさせてもらったり。シコクビエ、キャッサバ、トウモロコシのウバリ(練り粥)を食べる。チテメネを優雅に伐採していく男性の姿(写真12)とか、火入れをするときの壮観な、高さ10mくらいになる火柱がたつ光景、そして、収穫の時期(写真13)とかはすごい魅力的です。


写真13.シコクビエの収穫
(ザンビア北部)

写真12.チテメネの樹上伐採
(ザンビア)
 

夜に家族で火を囲みながら、1日あったことを話しあって、子どもが砂の上でその日、学校でならった計算とか、英語の練習したりとか。居候先で、その家族とともに時間を過ごすっていうのも、生活のなかでの小さな楽しみですね。

K:では最後に、最初に訪問したときと最後に訪問したときのフィールドのちがいを教えてください。

大山:そうだねぇ。ザンビアのほうはやっぱり土地制度の変化っていうのがあって、95年に土地法ができて、外国人や外国企業がザンビアの土地を取得できるようになった。そういう外資の導入によって、経済開発が進むって一般に考えられて、それを狙って土地制度に市場メカニズムをいれるっていうのが進められている。

僕が最初に行った時には、基本的にはどこでチテメネを焼いてもいいし、そのチテメネから収穫できるもので、生活するっていうのが基本的な生活スタイルだった。今は、土地の制度も変わってきている。国家のプロジェクトがあったり、個人の私有地みたいなのができたりしていくと、誰もが利用できるっていう土地が縮小して、焼畑だけでは暮らせなくなってきた。

僕が調査を始めたころは、ベンバだからチテメネをやるというような、ベンバの人びとの心のよりどころだったのに、そういうベンバのよりどころが今、失いはじめている。ベンバは王国があって、ひとりのパラマウント・チーフを中心にした集権的な政治システムをもっているけれど、王国のなかで、チーフ自身が外部の個人・企業に土地を売り渡すようなことがあったりとか、権利を譲渡するということがあったり。いままではベンバのチーフに守られて生活してきた人たちが、むきだしの資本主義のなかにまきこまれるようになってきて、チテメネもできない土地も奪われるっていうランドグラッビング(土地の収奪)が起きてきています。

土地もない、チテメネやチーフっていうような心のよりどころも大きくゆらいでいるなかで、以前のように、自信をもって焼畑を開いてきた人たちと、生活スタイルもアイデンティティをも模索しなければならない人びととのちがいは大きいよね。

ニジェールの方はね。やっぱり、急速に人口が増加してるっていうのと、気候変動かな。最近のサヘル地域では、干ばつとともに、多雨も問題だし。環境負荷が高まり、土地の劣化も進みやすい。そういうなかで、食糧不足が頻発している。

農村内の経済格差もかなり大きい。あり余るような作物を持っていて、2年前の収穫物を貯蔵しているという世帯もある一方で、大部分の8割くらいの世帯は収穫した作物を3か月か、半年くらいで食べ尽くしてしまう。そのほかの6カ月くらいは出稼ぎに行った男たち―父ちゃんや息子の稼ぎとか、家畜を売って現金化して食糧を買ったり、隣人より借金をしたり、あるいは薪を販売したりとかっていうので、食いつないでいくような状況が慢性的に起きている。

あと、ニジェールでの変化としては、農耕民と牧畜民のあいだで、あるいは、農耕民どうしで、土地をめぐって争いを起こすようになってきた。そういうのを解決するために、都市のごみを、荒廃した土地にまいて緑化をすすめ、環境に対する人口圧を弱めながら、農耕民と牧畜民の紛争を予防することをめざして、研究をすすめています。

インタビューの締めになった?なってないかな(笑)。

さいごに強調しておきたいのは、アフリカって文化的にも魅力があるし、若くて元気な大陸だし、同時に、世界のひずみが現れる地域でもあるので、そのアフリカの魅力に魅かれながらも、地域が抱える問題に対して、住民とともに考えながら、果敢に取り組むという姿勢のある人に、是非、ASAFASへ来てほしいですね。わたしも、機会があれば、そういうバイタリティのある院生の皆さんの研究の手伝いで、ザンビアやニジェールのほかにも、アフリカのいろんな国・地域を訪ね歩きたいと思っています。

K:今日は、本当にありがとうございました。

大山:こちらこそ、ありがとうございます。

連絡先:oyama[at]jambo.africa.kyoto-u.ac.jp
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