高田 明 准教授

教員インタビュー

高田 明 のプロフィール >>

*インタビュアー:S

S:はじめに、どういったことに関心をもって研究をはじめられたのか、お聞かせください。

高田:ううむ。たぶん、フィールドワークを始める前に、異文化へのあこがれみたいな、これは多くの地域研究者や人類学者が持っていると思うんやけど、それはもちろんあったと思う。もうちょっと具体的には、僕らが見ているリアリティとはちがうリアリティみたいなものがどうやって作られるのかとか。

S:うん。

高田:それがどうやって変化していくのかとか、そういうところに関心があった。

S:なるほど。

高田:だから最初はね、赤ちゃんがどういうふうに世界を見るようになっていくのか、というところにも関心があって。まあ、赤ちゃんの場合はリアリティっていうものがあるかないか、難しいところやと思うけど。

 
S:ああ。この研究科に入られる前には、赤ちゃんを対象に研究されていたんでしたね。

高田:赤ちゃんの観察はしていましたね。

S:それで、アフリカに興味が転じたきっかけはなんですか。

高田:そのきっかけは…最初にいた心理学の研究室では、別にアフリカ地域で物事を見るということは、ふつうはしない研究室やったんやけど。京人研(京都人類学研究会)というのがありますね。それの前身だった近衛ロンドというのが当時はあって。フィールドワークをする人とか、人類学的な関心を持つ人がそこにはたくさんいました。その中でやっぱり、アフリカというものの、迫力みたいなものとか、熱さみたいなものは、すごい、ひとつのあこがれみたいなものはありましたね。

S:ふうん。近衛ロンドに通い始めたのがきっかというわけですね。

高田:そう。それも含めて、何て言うか、この京大あたりに漂っているアフリカをめぐる怪しい空気(笑)みたいなのが、それがまあきっかけっていう…。

S:そんなん漂っていたんですねえ(笑)。

高田:はい(笑)。

S:それぐらいみんな関心をもっていた…。

高田:そうですねえ。今も漂わせていると思いたいですけど…(笑)。

S:たしかに(笑)。いや、あまり他学部や他研究科がどういうふうに(アフリカ専攻を)考えているのかっていうのを聞いたことをないので、関心がありました。

高田:まあねえ。僕が院生になったころは、アジア・アフリカ地域研究研究科はもちろんないし、人環も、文化人類学が出来たばっかりだったので、そういう意味では、なんていうか、在野だからこその熱気みたいなものが、ちょっとあったかもしれないですね。

S:なるほど。とにかく在野ということは、何て言うか、見たものからものを考えたいというか…。

高田:見たものから?

S:ううん…。いや、今のお話はアフリカ専攻の特徴にも関わるお話です。やはりその特徴は、在野からものを見るということなんでしょうか。

高田:どう思う、うちの特徴を3つあげろと言われたら?(笑)

S:まあひとつめはそれですよね。先生によっては調査地に入る前から勉強なんかするなという人もいれば、しなきゃだめだという人もいて、両方正しいとは思いますが、それぐらい、在野から見るということにすごく重きを置いている先生たちが多い。それが特徴ですね。

高田:それは2つに分けられるの?「在野」ということと「見る」ということと。

S:いや、「在野で見る」ということです。見ることと、(文献を)読むこと。読むことというのは具体的なリアリティを求めないで、自分の頭の中でだけリアリティを構築していくこと。でもそれが在野で見ることと本当に違うのはわからないですけど。

高田:そう見えますか?中にいて。

S:答えてもいいんですか、これ(笑)。

高田:いいよ、いいよ(笑)。

S:やっぱり在野で見るというのは簡単じゃないですよね。そして、見えてないんじゃないかと言いたくなるような研究手法もある気がする、というのが僕の意見です。

高田:たしかにな。研究科内にもいろんな…まあ教員と院生が近いというのが、ここの研究科の特徴やと思うけど、100人を超えるすごい数の人がアフリカを研究しているわけやけど。だから見方はいろいろあるし、あることはすごいいいことだと思う。そこで、なんかこう、特徴として共有されているというより、指向性として共有されている。方法性として、まだ書かれていないアフリカ、僕らが行っていま見ることができるアフリカの魅力っていうのを、もっと知りたい、もっと伝えたい、っていうところがあるのでしょうねえ。それがまあ、言い方をかえると、「在野から見る」ということになるのかもしれないな、と聞いていて思いました。

S:聞いていて思いました(笑)。
ところで、アフリカ研究者はいまだに探検的な研究をしようとしている人が多いのではないかという批判を聞いたことがあります。つまり、まだ書かれていないアフリカというものを、「私が発見して私が書きたい」。探検的というのは、探検してみてこれまで知らなかったことを発見して、それを文字に落としさえすればよい、と思っている人が多いのではないかという意味だと思うんですね。それについてアフリカ専攻と照らしてどう思われますか。

高田:専攻全体について語るのは僕だけでは荷が重いかなと思うんだけど、僕自身について言えば、インタラクション、社会的相互行為についての研究っていうのをずっと言っています。まあそんな難しいことを言わなくても、人と人との関係のなかで作られるリアリティに関心があるのね。で、たぶん、僕その人と人っていうのに自分も含まれているし、向こうの人(調査地の人)と向こうの人とのあいだもあるし、向こうの人と私たちというあいだも含まれていて、それでの関係だと僕自身は思いますね。だから書かれていないものを書くというのは、べつに白地図を埋めるという発想に陥る必要はない。すでに知ってるつもりになってる現実っていうのが、実は、ちょっとちがう方向から見れば、知らない側面があったりとか、あるいはまだ書かれていないような見方というのが、じつは大事なこととして、リアリティを作っているんじゃないかなあという気がするので、そういう視点というか、そういう意味ですね。 

S:白地図を埋めるという方法は、見方そのものに批判的じゃないというか、そこはあまり念頭に置かないが、一方で自分を含めた人と人とのリアリティ、それがどういうふうにできあがっていくのか。それを見るとなると、見方そのものも変わりうるというか、変えなきゃならない。その点がちがうということですか?

高田:そうですね。ちがうというか、人と人とのあいだで起こっていることだから、一方的に相手の人を自分の外に置いて見るということは、たぶんできないような気がするんですけど、僕は。その関係を知ることとして研究を考えたときに、何ができるか。これを考えて、これまでやってきました。

S:そういう人と人とのあいだに広がるリアリティを知って、感じて、文字にする。それももしかしたら、このアフリカ専攻の特徴という言い方もできますかね(笑)。

高田:というか、いま僕とSくんのあいだでできあがっているリアリティの特徴に近くなってきてますね(笑)。相当(インタビューの内容が)マニアックになってきてるかも…(笑)。「白地図を埋める」という話に同意しますか?

S:ううん、やっぱりそういう一面はあると思います。それでいいのかという。生態人類学的な手法、とりあえず「ものを集める」、「ものをはかる」。それをやっていても個人的には満足できない。これはなんなのだろうかということです。

高田:なるほど。生態人類学というのが、ASAFAS以前のアフリカセンターができたときのひとつの求心力となったと思うんですけど。ただ、生態人類学自体もすごく若い分野ですし、いろんな研究の流れが合わさって合流してできた新しい分野だったと思います。たぶん、いろんなものが混ざり合って新しいものを生み出していくという動きは、全然止まっていなくって出来た時点で固まったわけでもないし。いまも止まっていない。たぶん、方法自体はどんどん変わっていっているし、変わっていくべきじゃないかと思う。まあ、そこでもし何か変わらないものがあるとすれば、「生態」といっている自分を取り囲んでいる世界というものへの関心を排除しないで、つねに人の営みについて見ていく。これは変わってないと思うんだけど。  

S:「生態」への関心を排除してはいけないというのは、その通りですね。

高田:たとえばね、いろんな分野の中でことば、言説への関心が、ここ長いあいだ集まっているけど、僕自身も会話だとかジェスチャーの分析をやっている。それを閉じた体系として、ことばあるいは身振りだけを研究するという方向にはたぶん向かっていなくて、もっと外の世界のなかに、埋め込まれていたり、あるいはそこから脱出しようとして何が起こっているかとか、そういう視点はたぶんずっと、少なくとも僕の周りでそういうことに関心を持っているひとは持っていて、そういう意味では生態人類学的な関心が、もしかしたら反面教師みたいな見方かもしれないですけど、やっぱりそこには流れている共通点じゃないかと思います。 

S:これから入ってくる人に求められるところというのはそういうところでしょうか?

高田:さっきSくんが言ったみたいな「ものをはかる」「ものを集める」に終始している、もしそういう雰囲気を感じ取っているとしたら、それはSくんのリアリティであるともいえる。でも、それはきみひとりじゃなくて、他の人も関わって作られているリアリティだと思うんだけど。ただ、ここでいいことがあるとしたら、そのリアリティってすごく、若いリアリティだし、しかも変わりうるリアリティだと思う。少なくとも教員の立場からすると、変わる力みたいなのを抑えるのではなくてむしろ引っ張り出したいみたいなところがあって、それは他の教員もある程度そうだと思います、僕は。それがうちの研究科の特徴だし、いいところでもあると思う。いまからまさに新しい動きを作っていきたい、そういう思いのある研究科だと思う。だから学生の人も…まあ「こういう学生の人を」と言葉にしてしまうのはなかなか難しいのですけど…状況自体がどんどん変わるから。だけど、「自分で見て考える」ということを大事にする人がいいんじゃいかなあと思います。

S:なるほど、でも自分で見るっていうのが難しいですよね。

高田:難しい。他の研究科と大きくちがうところは、ここではフィールドワークがすごく大事で、アフリカの村なりキャンプなり都市なりに行って、二年三年過ごす訳じゃないですか。そのときに、たいていは自分の教員と全く同じ村に行くことはないし、仮に行っていたとしたって、同じものを見るわけでは全然ないんだよね。行く時期も違うし、できあがっている人間関係も違うから。そういう意味では、自分の関心や調査について知っているのは自分自身だっていう状況がたぶん、全員にあてはまるという研究科。これが特色だと思うのだけど。そこでみんなが一緒になってやっていくためには、やはり自分自身で見たものを自分でよく考える、そこが一番求められるんじゃないかなあと思う。

S:たしかに、その調査法について知っているのは自分しかいないっていう、ある種の責任というか。そういう大きなものを背負わされているというのはたしかにそうですよね(笑)。いや何の話がしたいかというと、これを読んでいる未来の院生の人たちが日常的に実践できるようなことは何かないのかなと思って。

高田:日常的に実践できること?

S:いや、別にこの研究科に入るために限らないですが。

高田:それはやっぱ、自分の人生を一生懸命に生きるということじゃないですか(笑)。

S:すばらしい答えをいただきました(笑)。
最後に、アフリカに行って変わったと思うことはありますか?

高田:最初言ったように、自分が寄って立つ基盤というのを、絶対的なものとして考えないで、そこが変わることを楽しむみたいなのが、フィールドワークの根底にあるもののひとつの特徴だと思うんだけど。そう考えれば、僕は変わってきた舟に乗ってここにたどり着いた感じ。だから大事な質問だけど…即答できないね。何が変わったんだろう(笑)。

S:そうか、何が変わったか分からないというぐらい…。

高田:変わり続けてきた。

S:なるほど。

高田:いや、むしろ変わったといえばSくんの方がフィールドワークが新鮮かもしれんから…。

S:えっ、こんなに聞かれるんですか。このインタビュー(笑)。

教員インタビュー >>